親友が余命わずかと知った 寄り添うために必要な考え方を学ぶ
日頃から規則正しい生活をし、健康に気を配っていても、重い病気にかかってしまうことは十分あり得ます。もし親友が、がんなどの重い病にかかってしまって余命宣告をされたとしたら、どう接すればいいのでしょうか。福厳寺住職の大愚和尚に聞きました。 【関連画像】福厳寺住職の大愚和尚 ●親しい人が重い病に どう声をかける 年齢を重ねると、「健康診断で○○の数値が良くなかった」とか、「最近△△の調子が悪くてね」といった健康についての話題が増えるもの。そんな中、親友や親しい先輩などから、「治療が難しい病を患っている」や「余命宣告された」などと打ち明けられたら、どうすればいいでしょうか。 現代社会において、とりわけ「がん」は罹患(りかん)率の高い病です。国立がん研究センターの推計(2019年データ)によると、日本人が一生のうちにがんと診断される確率は、男性が65.5%、女性が51.2%と、身近な存在になっています。完治する人がいる一方で、1981年以降、日本人の死因の第1位を維持し続けています。 仏教では、「三法印(さんぼういん)」という基本的な理念を示す3つの教えがあります。1つ目は、みなさんよくご存じの「諸行無常(しょぎょうむじょう)」です。あらゆる事象は移り変わり、死滅に向かっています。人や動物だけではなく、木々も、建物も、地球も変化していき、やがて消滅します。宇宙ですら永遠に存在するものではありません。そしてこれは、何人も逆らうことができない事象です。 「三法印」の2つ目は、「諸法無我(しょほうむが)」です。すべての事象や存在は無我である、という意味です。この世が諸行無常ならば、「私」も永遠に同じ「私」であり続けることはありません。宇宙でさえ変化していくのに、自分自身が変わらないはずがありませんよね。私たちの細胞は毎日生まれ変わっていますから、5年前どころか、昨日の自分とも違うのです。 生きているものは必ず死ぬ。けれども人間は、「自分だけは変わらないでいたい」と思い、老いて死ぬのを受け入れることが、なかなかできません。だから死に対しての苦しみが起きるのです。 そして3つ目は、「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」といって、その苦しみがなくなった静かで穏やかな世界を指します。 大切なのは、命あるものは必ず死ぬという当たり前の現象を、見つめ、受け入れること。それを見つめようとも、受け入れようとも、知ろうともせず、あたかも自分とは関係ないような態度で生きる。それをお釈迦さまは「無知」と呼びました。 とはいえ、親しい人が余命宣告されたとしても、「人は誰しも死ぬのだから」などとは簡単に言えませんし、自身が重い病にかかっても、すぐに思考を切り替えられる人は、そうはいないでしょう。では、どうしたらいいか。