生後6か月の娘に“先天性の難病”発覚、医者は「2歳まで生きられない」と…星野真里(43)が語る、長女が「先天性ミオパチー」と診断された経緯
2歳まで「先天性ミオパチー」と確定できなかったワケ
紹介された大きな病院で改めて検査した結果、「先天性ミオパチーの疑いがある」と診断された。しかし、その場で病名が確定することはなかったという。それはなぜか? 「先天性ミオパチーの確定診断を受けるには、全身麻酔をして筋肉の繊維を取って検査をする必要があります。当時生後半年だったふうかはその検査が受けられず、2歳を迎えるまで『先天性ミオパチーの疑い』のまま日常を過ごしていました」 娘の病名が確定しないまま過ごす日々。きっと、大きな不安を抱えながら育児と向き合っていたのではないか――。そう想像しながら話を聞いていたが、星野さんの口から出てきたのは、予想を裏切るポジティブな言葉だった。 「最初に疑われた病気が命にかかわるものだったから、その病気じゃなくてホッとしました。その後も先天性ミオパチーの疑いは続いたけれど、『この病気なら、娘の命は奪われない。私はこれからもこの子と一緒にいられるんだ。この子の成長を見られるんだ』と、喜びのほうが大きかったですね」
「むしろ楽をさせてもらっているな」と思うことの方が多かった
そんなふうかさんは現在、小学3年生。病気のケアをしながらの子育てには、苦労も多かったのではないか。星野さんにそう尋ねたところ、意外な答えが返ってきた。 「私はふうか以外の子育てを知らないのでなんとも言えませんが、『辛かった』『大変だった』と思う時期が思いつかないんですよね。 彼女は筋肉が弱いので、自分で移動することができないし、声も小さかった。だから、赤ちゃんの育児でよく聞く『動き回って何するか分からないから目が離せなくて大変』『泣き声が大きくてストレスがたまる』といった悩みがまったくなくて。 周りの保護者の話を聞いていたら、『むしろ楽をさせてもらっているな』と思うことの方が多かったかもしれません」 難病を抱えた娘と過ごす中で、「なぜ自分たちだけ」といったネガティブな感情に囚われることもなかったという。
「ふうかは幼稚園の頃、病気や障害のない子どもたちと一緒に生活をしていました。そのときに保護者同士でよく話していましたが、『ほかの子やその親御さんは、病気や障害がないからこそ、周りと比較して悩むことも多いんだな』と感じることがありました。 一方で、ふうかと私の場合は、周りと比べることがそもそもありません。病気を理由に、親子で閉じこもった生活を送っていたら、『なんで私たちだけ』と思っていたかもしれない。でも、幼少期からたくさんの人たちと関わったことで、恵まれている面に気づけたと思っています」