使い込みで会社を2ヵ月で解雇→“あばずれ”と呼ばれた恋人とも破局→強盗殺人犯にまで落ちぶれた「慶應卒のイケメン元証券マンの末路」(1953年の事件)
前記したとおり、警察は3人を容疑者として約7万5000枚もの手配書を用意して行方を追った。結果、事件から2日後の7月29日に正田の下宿先で相川を逮捕、本件に見張り役として関与したとの自供を得る。 また8月3日には近藤が静岡市の静岡中央署駒形派出所に自ら出頭する。取り調べで近藤は犯行を認める傍ら、「新聞を見ると正田はあんなにたくさん金を手に入れたのに、俺には3万しか寄こさなかった」と愚痴をこぼしたそうだ。 正田の逮捕も間近と思われたが、その行方はなかなか掴めない。これには理由があった。警察が作成し、新聞に掲載された正田の手配写真はみなメガネをかけている。が、このとき正田は当時では珍しいコンタクトレンズを着用しており、外見の印象がまるで違ったのだ。ちなみに、当時の新聞報道によれば、正田の手配写真を見た世の女性たちは、「あら、良い男」「こんな人、好きなのよ」「こんな男がいたら匿ってやるわ」などと口々に言い、写真自体を欲しがる者が続出したそうだ。
「卒業生名簿から名前を消してもらいたい」
このように女性がもてはやした凶悪犯の正田が逮捕されるのは、事件から77日後の10月12日。場所は京都・銀閣寺近くのアパートで、麻雀仲間からの通報がきっかけだった。正田の身柄は東海道線で東京へ移送される。このとき新聞社は列車に同乗して取材を敢行。読売新聞が正田との一問一答を掲載している。 問 まず言いたいことは? 答 ただ、ナット・ギルティ(無罪)を主張するだけです。 問 犯行の動機について 答 昨年の夏、就職試験でレントゲンを撮ったら、左の肺が浸潤されていることがわかり、大きなショックを受けた。それから幾分やけになっていたが、ボクは元来おっちょこちょいなので、あんな大それたことをしてしまった。誠に申し訳ない。 問 主犯は誰か? 答 後で調べればわかるが、ボクではない。コンちゃん(近藤)で、ボクは手引きと後始末をしただけだ。 問 今の心境は? 答 ただ申し訳ありません。母や兄たちにも随分迷惑をかけたり、特に母校慶應の名誉を傷つけたことに対して非常に責任を感じている。名簿から名前を消してもらいたい。
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