ジャンボ鶴田が「日米の偉大なレスラー」力道山とルー・テーズから継承した「プロレスの王道」とは?
最強なのに、NO.1を取れなかった謎の男、ジャンボ鶴田――。 元『週刊ゴング』編集長の小佐野景浩氏は、誰も踏み込んでこれなかったその「謎」を解き明かすべく、取材を続けている。 伝説のプロレスラー・ジャンボ鶴田の実像に迫る連載『「永遠の最強王者 ジャンボ鶴田」完全版』。オンラインメディア「シンクロナス」で好評配信中。 「鶴田の何が凄かったのか、その強さはどこにあったのか、最強説にもかかわらず真のエースになれなかったのはなぜなのか、総合的に見てプロレスラーとしてどう評価すべきなのか――。もう鶴田本人に話を聞くことはできないが、かつての取材の蓄積、さまざまな資料、関係者への取材、そして試合を改めて検証し、今こそ〝ジャンボ鶴田は何者だったのか? 〟を解き明かしていこう――」(小佐野氏) 2020年5月には588頁にわたる大作『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』を上梓。大きな反響を呼んだ。 それでも小佐野氏の取材は終わらない。2023年7月からはこの『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』に大幅加筆を施す形で、新たな証言を盛り込んだ「ジャンボ鶴田」像をオンラインメディア『シンクロナス』で配信し続けている。 今回は『永遠の最強王者ジャンボ鶴田」完全版』から、日本の伝統とアメリカの名レスラーの技を受け継ぎ、全日本プロレス「真のエース」への階段を上り始める鶴田の雄姿をお届けする。 ファンクスから力道山&ルー・テーズへの変貌 「俺はプロレスの会社の社長になろうなんて気はまったくないんだよ。でもリングの中ではメインイベンターとして、しっかりと責任をもって試合をするから」 81年半ばに全日本プロレスのブッカー(現場責任者)になった佐藤昭雄にジャンボ鶴田はそう言った。佐藤を全日本改革のブッカーに据えた松根光雄社長新体制の全日本が目指したのは、ギャラの高い超一流外国人選手に頼らず、看板になる強い日本人選手を作って地方興行も入るようにすることだった。 つまり、日本テレビと松根社長が望んだのは、最終的に強い日本人が外国人選手をやっつけるという昔のスタイルである。 「看板になる強い日本人選手」は鶴田しかいない。そこで、日本テレビ&佐藤の鶴田改造計画は「善戦マン」のイメージを払拭することからスタートした。 82年6月8日、蔵前国技館でリック・フレアーのNWA世界ヘビー級王座に挑んだ鶴田はイメージを一新した。それまではザ・ファンクス、テキサス州アマリロの匂いを感じさせる星のマークが入った赤とブルーのツートンのタイツ、赤あるいは青のシューズだったが、タイツもシューズも黒、さらに羽織るジャケットもシンプルな黒に変えた。 キャリア9年、31歳になった鶴田には、それまでの派手なタイツ、シューズ、コスチュームでは若過ぎるし、それによって試合も軽く見えるという佐藤、日本テレビの判断によるものだ。 言うまでもなく、黒は日本プロレスの開祖・力道山のテーマカラー。発案者の日本テレビの原章プロデューサーは「やはり全日本の大エースになるのにアマリロのイメージが強い星のタイツは駄目でしたね」と言う。 思えば日本テレビが馬場に全日本旗揚げを要請したのは「力道山から受け継いだ正統のプロレスを放映する」という小林與三次社長の信念によるものだった。 鶴田を黒に変身させたということは「鶴田をジャイアント馬場に続く力道山の正統後継者としてバックアップする」という日本テレビの意思表示と言ってもいい。 黒への変身第1戦のフレアー戦はジャーマン・スープレックスが崩れてダブルフォールになり、結果的にはまたまた“善戦マン”に終わってしまったものの、若大将から真のエースへの自覚が見て取れた試合だった。