全国で50万人が犠牲に 1945年、東京から始まった無差別空襲
攻撃対象、「軍事施設」から「一般市民」へ
初めのうちは軍事基地や航空機工場など軍事施設が標的でしたが、次第にターゲットは一般市民へと移っていきました。 1945年3月、米軍は軍事施設への精密爆撃から、焼夷弾を用いて住宅地を焼き払う作戦に変えていきました。その第一弾が「東京大空襲」でです。300機ものB29が計38万発・1700トンもの焼夷弾を東京の下町一帯に投下しました。木造家屋の多いこの地域では大火災が発生し、9日深夜から10日未明にかけて、わずか一晩で10万人もの命が奪われました。
東京大空襲に続くように、3月には名古屋(12日など)、大阪(13日など)、神戸(17日など)といった大都市に対して次々に大規模な空襲が行われました。 さらに6月に入ると中小都市が標的になり、毎日のように日本のどこかの街が空襲被害に遭いました。そして、8月6日と9日には広島と長崎に原爆が投下されます。1945年の末までの死者は、広島が14万人、長崎が7万4千人に上ると推定されています。 このような全国的被害を受け、8月15日に終戦を迎えたのです。
空襲被害、日本以外にも
第二次世界大戦で、こうした空からの攻撃で多くの市民が命を奪われたのは日本だけではありません。 日本軍も、日中戦争(1937年~)時には中国が臨時首都を置いた重慶などに陸海軍が激しい空襲を行っています。犠牲者は1万人とも言われています。豪州本土に対しても空襲を実行しました。日本も海軍機動部隊が北部のポートダーウィンなどに2年弱の間に97回もの爆撃を加え、400人を超す人命を奪ったのです。
日本と同盟国の関係にあったドイツも、ロンドンに対して激しい空襲を何度も行いました。一方、米英の連合軍もドイツへの容赦ない空襲を行い、1945年2月に実行されたドイツ東部の古都ドレスデンへの空襲では一晩で数万人もの命が奪われたとされ、街は瓦礫と化しました(※死者の数ははっきりと分かっていません)。
今なお続く、空襲
世界では、今日に至っても空襲は絶えません。例えば、内戦の続く中東のシリア。アサド政権や反政府勢力、「イスラム国」の間では緊張関係が続いており、政権側から要請を受けたロシア軍が「イスラム国」側に空爆を行っています。このような内戦や、空襲により、幼い子どもを含む一般人にも多くの犠牲者がいまなお出ているのです。 (立教大学大学院・宮本聖二教授)