「鯨に流氷に犬ぞりも」美人姉妹の幼少期はマイナス30度のアラスカで 元五輪スケーター・村主章枝が当時を振り返る
「練習したい」「宿題が先!」。のちに五輪スケーターとなった村主章枝さんの親子にも、こうした会話がありました。美人姉妹として話題の妹さんの話も含め、アラスカで育った幼少期の暮らしを振り返ってもらいました。(全4回中の3回) 【写真】SNSでも「美人すぎる」と話題になった村主姉妹(全14枚)
■アラスカでの幼少期は気球に乗ったり魚釣りをしたり ── 村主さんは幼少期、アラスカで過ごしたそうですね。 村主さん:父の仕事の関係で幼少期にアラスカで生活したことは、スケートや感性に大きな影響を与えています。夏は短く、冬はつねにマイナス30度。ちょっと車で行けば、流氷が見られて、鯨が泳いでいました。犬ぞりレースを見に行ったり、気球に乗ったりと、いろんな経験をしました。両親はこのチャンスがなければアラスカで生活することはもうないだろうからと、夏も魚釣りやキャンプとありとあらゆる経験をさせてくれました。
── 大自然の中で過ごしたのですね。苦労はありませんでしたか? 村主さん:現地校に通ったので、苦労も多かったと母から聞かされます。英語が全然できないので、最初は「幼稚園に行きたくない」って泣いていたらしいです。私はあまり覚えてませんが…。
■15歳ころから本格的にスケートをすることに ── その後、日本に帰国してから本格的にスケートを始めたのですか? 村主さん:スケートをはじめて経験したのはアラスカですが、帰国して、6歳から日本でスケートを習い始めました。
── オリンピックレベルになると、毎日、朝練して放課後も練習というスケート漬けの日々を想像しますが…。 村主さん:私の場合は中学校の授業がとても忙しくて、なかなかスケートの練習に行けませんでした。私は宿題より練習を先にしたいのに、母は「学校の宿題が終わっていないから、早く帰って勉強しましょう」と言うので、ずっとケンカしている感じでした。 ── スケート第一でなかったとは、意外です。 村主さん:本格的に始めたのは遅めで、国際大会に出始めたのも15~16歳くらいです。世界選手権のジュニア部門でいい成績を収め、全日本選手権で優勝した後に、カナダ人の振付師ローリー・ニコルさんにお願いするようになりました。