30代でガールズケイリン挑戦の2期生 12年間の現役生活を強制引退で終える「こんな“底辺の女”が…」/猪子真実さんインタビュー前編
脚力差に不安覚えた競輪学校時代
2期生は自転車競技で結果を残してきた石井寛子に山原さくら、田中まい、三宅愛梨らにトライアスロンから転向した梶田舞、スノーボードから転向した猪頭香緒里など個性派選手ぞろいだ。“親子レーサー”など身内に競輪選手がいる“縁故選手”も多かった。自転車競技経験のなかった猪子は入学して早々に周囲との差に驚いたそうだ。 「夢を持って競輪学校に入ったけど、すぐにすごいメンバーの中に入ったなと思いましたよ。やっぱり石井寛ちゃんはすごかった。あとは(山原)さくらと(三宅)愛梨の体の大きさにびっくり。この中で自分はやっていけるのかなと不安になりました」 1年間の学校生活を乗り切れたのはルームメイトの存在だった。 「部屋は小坂知子と矢野光世との3人部屋だったんです。この部屋のおかげで1年間楽しく生活できました」 競輪学校での思い出は競走訓練で1着を取ったこと。 「(山原)さくらと(田中)まいちゃんが私の前で先行争いをしたんです。2人でバチバチの戦いになって、その後ろで脚がたまっていた私が1着を取れた。うれしくて教官に『私の1着なら大穴ですね』って言ったら『猪子の頭の車券は無投票だよ』って言うんです。今では笑い話だけど、そのときは本当に脚力が無かったんだと思います」 在校成績は18人中14位。好結果を残すことはできなかったが「でも学業優秀賞は取れました」と少しだけ胸を張って教えてくれた。
デビュー当初は健闘「こんな“底辺の女”が…」
デビューは2013年5月京王閣。「覚えているのは緊張で口の中がカラカラだったことくらい」と話す猪子は3日間車券に絡むことができず、ほろ苦いスタートとなった。 2場所目の地元名古屋で最終日に初連対を果たすと、3場所目の和歌山では最終日の一般戦で初白星をゲットした。続く松山でも最終日一般戦で1着。在校14位とは思えない健闘ぶりを見せた。猪子は大笑いでデビュー当時を振り返る。 「名古屋最終日で2着になって『なんかいい感じだな』と思ったら、次の場所で1着が取れた。こんな“底辺の女”がなかなか1着は取れないですよ(笑)」 その後も8月の弥彦で初決勝と順調にステップアップを続けていった。2年目の8月に取った1着は思い出に残っているという。 「8月の京王閣、まっすー(篠崎新純)の後ろから始めていい位置を回れたんですが、後方にいた石井寛ちゃんに踏み勝って1着が取れました。この1着はうれしかったな。この京王閣は決勝にも乗れたし思い出に残っています。すぐ次の松阪の補充にも行って1着。このころは調子が本当によかったと思います」 1着を量産するタイプではなかったが、コツコツと練習して鍛えた地脚を武器にレースを重ねていった。しかし次々に新人選手がデビューすると、なかなか思い通りの成績を残すことが難しくなっていった。(後編へつづく)