30代でガールズケイリン挑戦の2期生 12年間の現役生活を強制引退で終える「こんな“底辺の女”が…」/猪子真実さんインタビュー前編
2024年6月末、ガールズケイリン2期生の猪子真実さんが代謝制度により引退した。12年間の現役生活で通算21勝。優勝は一度もなかったものの、引退直前の今年5月にはガールズケイリン史上最高配当144万円車券の立役者となり話題を集めた。引退後はネット配信などに出演し、競輪の魅力を発信している。インタビュー前編では猪子さんが競輪選手としてデビューするまでの歩みと、デビュー直後を振り返ってもらった。
“普通の社会人”として競輪に出会う
愛知県一宮市出身の猪子真実は小さいころから運動神経がよく、ソフトテニスでインターハイに出場し個人でベスト16、団体では全国3位と好成績を残していた。地元では知られた存在だったそうだ 高校卒業後、縁あって地元一宮競輪場でバイトを始めた。金網越しに見る競輪に魅力を感じていたが、当時はまだガールズケイリンは存在しなかった。その後、かばん販売の会社に就職するが、いわゆる“普通の社会人生活”には満足できなかったという。
30歳でガールズケイリン挑戦を決意
ある日、猪子は知人から2012年に『ガールズケイリン』が始まるという知らせを聞いた。当時30歳だったため1期生募集のタイミングでは応募をためらったが、1期生の応募状況を知ると興味はふくらんだ。 「自分より年上の人も挑戦していたし、自転車競技未経験の人もいた。日本競輪学校(現・日本競輪選手養成所)の合格タイムを聞いて、これなら自分でもできるかもって思ったんです。一宮競輪場でバイトをしていたときのつながりで笠松信幸さんを紹介してもらい、2期生として競輪学校合格を目指すことになりました」 笠松信幸は猪子の1歳年上だ。弟子入りの時の状況を笠松はこう振り返る。 「自分も中学からソフトテニスをしていて、猪子のことは知っていたんです。一宮市内では有名でしたから。バイトをしているときから面識はあったけど、一度は師匠になることをためらった。でも猪子がやる気だったし、自分にできることがあればサポートしようと思い引き受けました」 高校卒業後がスポーツから離れていたため、体力を取り戻すのは大変だった。入学試験に向けた街道練習は苦しかったが、新しい人生のスタートラインに立つことをイメージして練習に打ち込んだ。努力は実を結び、試験に合格。ガールズケイリン2期生として日本競輪学校へ入学した。