<PlayHard特別な夏・磐城>/1 別れと出会いの春を越えて 「前監督らを甲子園へ」 同じ思いでチーム一つに /福島
◇最後のノック涙 3月23日夕、新型コロナウイルスの影響で休校と部活動の自粛が続く磐城(いわき市)。久しぶりに顔を合わせた野球部の選手や保護者に、木村保監督は自らと大場敬介部長、チームを見守ってくれた阿部武彦校長が3月末で離任することを伝え、語りかけた。 【真夏の熱闘】交流試合の写真特集はこちら 「最後の最後に大きなプレゼントをくれて、ありがとう」 それは46年ぶりに戦うはずだったセンバツで、先輩が成し得なかった初勝利を挙げた時のために大切に取っておいた言葉だ。センバツは中止になったが、21世紀枠で選出された事実は揺るがない。選手たちの頑張りに感謝する木村監督の言葉に、ナインのすすり泣く声が響いた。 その1週間後の30日。グラウンドに、ノックバットがボールをたたく音とともに、選手たちの叫び声が響いた。 「夏、絶対に甲子園へ行くので、見ていてください」「木村先生のもとで野球ができてよかったです」 恩師の最後のノックを、選手たちが懸命に追いかけた。「今日は泣かないと決めたのにな」。照れ笑いする木村監督の目から涙があふれた。 その前日、木村監督は、選手一人一人に甲子園で着るはずだったユニホームを手渡し、激励の言葉をかけた。選手たちは、その言葉に応えようと全員で話し合い、監督に感謝のメッセージを伝えようと決めた。そして選手たちは新たな目標を設定した。 「3人を甲子園に連れて行く」 ◇思い継ぐ新監督 4月2日朝、緊張感が漂うグラウンドに、渡辺純新監督は悠然と現れた。 「俺もお前たちと思いは同じ。3人を甲子園へ連れて行こう」 その言葉を聞いた瞬間、選手たちのほほが緩んだ。初対面の自分たちの気持ちを察したかのような言葉に、岩間涼星主将(3年)は「純先生に自分たちの思いを背負わせていいのか、どう伝えればいいのかも分からなかったから、すごく安心した」と振り返る。 後藤浩之部長(前顧問)も同様に不安を抱えていた。夏の甲子園までわずか4カ月。精神的支柱だった3人を失い、さらに新型コロナの影響で練習ができない期間が続いた。「選手たちと新監督をどうつなげればいいのか」。そんな後藤部長の不安も、渡辺監督のひと言で吹き飛んだ。「選手たちの目が変わり、チームが一つになった。木村先生の代わりは渡辺監督にしかできない」と信頼を寄せるようになった。 渡辺監督は高校時代、磐城野球部の象徴・コバルトブルーのユニホームに身を包み、甲子園を目指したOBだ。「報道を通して彼らの状況は見ていた。木村先生を尊敬しているし、自然と彼らと同じ気持ちになれた」と教え子であり、母校の後輩でもある選手たちに心を重ねる。 自分たちの気持ちを受け止めてくれる渡辺監督と一緒に戦い、甲子園へ3人を連れていく。この日を境に選手たちは「純先生のためにも」と口にするようになった。=つづく × × 10日開幕した2020年甲子園高校野球交流試合に出場する磐城。春夏の甲子園の中止や長期にわたる活動自粛、恩師との別れと新監督との出会い――。さまざまな経験を通して成長し、夢舞台に挑むチームの歩みを振り返る。(この企画は磯貝映奈が担当します)