<春にかがやく―2024センバツ>日本航空石川 勝って何かを届けたい 地震で実感、多くの人の期待 /石川
日本航空石川にとって、秋は悔しさが残る結果だった。北信越大会は4強。優勝した星稜(石川)が明治神宮大会も制したことで、「神宮大会枠」の1枠を加えた3校が北信越地区から出場となり、4年ぶりのセンバツ切符をつかんだ。 【写真で見る歓喜の瞬間】歴代のセンバツ覇者たち 昨夏の石川大会4強のチームから顔ぶれが大きく入れ替わった。投打に潜在能力が高いが、実戦経験に乏しいことが課題だった。 中村隆監督(39)によると、新チームの発足当初は「100かゼロかの極端な試合ばかり」。相手を圧倒することもあれば、ミスの連鎖から自滅することもあり、粘り強さに欠けていた。内野の要の遊撃手・北岡颯之介選手(2年)は「自信がない選手が多く、失策やミスが一つあると、すぐに余裕がなくなっていた」と振り返る。 秋に目指したのは、大会の中で成長することだった。厳しい練習に取り組んできた自負はあったが、どうしても試合では硬くなってしまう。失策やミスを貴重な学びの機会として、徹底的に話し合って原因を突き詰めた。試合中も、ミスが出た後は必ず間を取り、「チームとして悪い流れのまま、だらだら進まないこと」(北岡選手)を心がけた。 成果が実ったのは石川県大会準決勝の小松大谷戦。序盤で0―2とリードを許したが、四回に1点差に迫ると、五回に加藤一翔選手(2年)のソロ本塁打で追いつき、竹中清真選手(同)の犠飛で逆転した。後半は粘り強く守り、競り勝った。 とはいえ、トントン拍子にことは進まない。その後は粘りを見せながらも勝ちきれない試合が続いた。県大会決勝の星稜戦は九回に2点差を追いついたが、十回のサヨナラ機で試みたスクイズがサインミスで決まらず、惜敗した。北信越大会準決勝の敦賀気比(福井)戦は3点のビハインドを七回に一気に追いついたが、十回の好機を生かせずに敗れた。 秋の悔しさを胸に秘め、年内の練習を終えた選手たち。そして、元日に能登半島地震が発生した。石川県輪島市にある学校は大きな被害を受けた。全員が寮生の1、2年生計67人は帰省中で無事だったが、石川県七尾市出身の福森誠也投手(2年)は輪島市の祖母宅で被災し、避難所に家族で身を寄せた。自宅が被害を受けたり、断水したりした部員もいた。 部員の受け入れ先となった系列の日本航空高(山梨県甲斐市)がある山梨キャンパスに約半数が先行して移り、1月半ばに本格的な練習を再開した。地元で自主練習を続けていた選手たちも近く、合流する見込みだ。 選手たちの目標は全国制覇。仲間たちと頂点を目指す決意を込めたが、地震を経て、もう一つの思いも加わった。宝田一慧主将(2年)は「地震があってから、自分たちの目に見えるよりもずっと多くの人たちが期待し、応援してくれていると実感した。センバツで一つでも勝つことで、何かを届けることができれば」と話す。 できるだけ長い時間を甲子園で過ごし、日本航空石川らしい全力でひたむきなプレーを披露する。それが今の自分たちにできることだと信じ、野球に打ち込む。【石川裕士】