ランボルギーニ「エスパーダ」やマセラティ「ギブリ」が審美眼を養ってくれた! スーパーカーの「基準」は美しいスタイルでした【極私的スーパーカーブーム】
漫画『サーキットの狼』連載開始から50年! スーパーカーブームを振り返る
1970年代後半に日本を席巻した「スーパーカーブーム」のきっかけは、池沢さとし(現・池沢早人師)さんによる漫画『サーキット狼』の大ヒットでした。その連載開始が週刊少年ジャンプ1975年1月6日号(発売は前年12月10日)ということで、AMWでは2025年を「スーパーカーブーム50周年」と見立て、当時の熱狂を知る皆さんに思い出を振り返ってもらうことにしました。今回は、ブームより少し上の世代である、1958年生まれの自動車ジャーナリスト、島崎七生人さんです。 【画像】ガラス張りガルウイングのランボルギーニ「マルツァル」も! 美しく斬新なスタイルだった「スーパーカー」たちを見る(24枚)
ランボルギーニ マルツァルやエスパーダの斬新なデザインに惹かれた
少年漫画週刊誌というと、僕は子どもの頃に床屋の待ち時間に置いてあったのをパラパラめくったり、表4の田宮模型の35分の1レオパルド戦車の広告を眺めたりした程度で、自発的に買ったり読んだりしたことはほとんどなかった。なのでじつは『サーキットの狼』の原作を読んだことがなく、ストーリーも登場人物の名もほぼ知らない。 もちろんスーパーカーブームの火付け役となった作品だったことは承知していたし、間接的にというべきか、ブームだった頃に購読していた自動車雑誌でスーパーカーを取り上げる機会がにわかに増えて、その影響でスーパーカーに意識と目を向けるようになったことは確か。記憶が正しければ、自動車雑誌の中では(昔からひととおり買って読んでいた)MM誌にランボルギーニ「シルエット」のピンナップが綴じ込みで入っていて、それを広げては「ほほぉ」と眺めたりしていた。 ところでスーパーカーといえば、やはり切り離せないのがイタリアン・カロッツェリアが生み出したクルマたちだ。なかでも僕が心打たれたのが1967年のショーモデルのランボルギーニ「マルツァル」。ガラス張りのガルウイングドアに4座のシートが置かれた低い車体がとにかく斬新だった。 小学生の頃でスケール違いでプラモデルも2台作った覚えがある(たしかバンダイの18分の1と、ハセガワかナガノの24分の1だった)が、もちろんこのマルツァルが原形となった市販車の「エスパーダ」(1968年)にも無条件で心を寄せ、カンパニョーロのアロイホイールのメカニカルな美しさに傾倒するようになったのもこのエスパーダからだった。
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