【阪神 火の玉ルーキーズ】ドラ4・町田隼乙 地元で金本の2000安打達成を目の当たりにし野球の道へ
スポニチでは「火の玉ルーキーズ」と題し、阪神が今秋ドラフト会議で指名した9選手のこれまでの足跡を連載する。ドラフト4位で指名されたBC・埼玉の町田隼乙捕手(21)は、地元である横浜スタジアムで観戦した横浜―阪神戦で野球の魅力に取りつかれた。当時はまだ5歳。その背景には同戦で通算2000安打を達成した金本知憲の姿があった。 隼乙は姉2人がいる3人きょうだいの末っ子として生まれた。誕生時は2800グラム。標準サイズで、現在の1メートル88、86キロという立派な体格は想像もつかなかった。 「上のお姉ちゃん2人を見ていたのか、空気を読んでいるような子だった。おとなしかったですね」 母・秀子さん(54)は幼少期を懐かしんだ。男の子が好むヒーロー戦隊ものや、車の玩具には全く興味を示さない。2歳のクリスマスには鉄道玩具の「プラレール」が届いたが、秀子さんが組み立て一度、遊ばせた以外はクローゼットの奥に眠ったままだ。 そんな隼乙が、唯一といっていいほど興味を示したのが野球だった。父・光信さん(51)が趣味でソフトボールをやっていたこともあり、地元・ベイスターズの野球中継が毎日のように画面に映し出されていた。横浜スタジアムには最低でも年に1度、応援に行くのが恒例行事。物心がついた時には当時、活躍していたベイスターズの多村仁志、村田修一などの応援歌を丸暗記し、一塁スタンドから大声援を送った。ただ、隼乙の脳裏に今でも焼き付いて離れないのは、阪神のあるスター選手だった。 「あの試合だけは鮮明に覚えています。記憶をたどると、いつもあの試合だけがすぐ出てくるんですよね」 2008年4月12日。当時、5歳だった隼乙は、一塁側から圧倒的なオーラをまとって打席に入る金本知憲の姿を、食い入るように見つめていた。7回2死三塁。寺原から放った右前適時打は、プロ野球史上37人目の2000安打となった。一塁ベース上で花束を受け取った偉大な背番号6に、隼乙は「すごいね!」と大興奮。以降、隼乙の野球熱は徐々に高まり、小学3年から「秦野ドリームス」で野球を始めるきっかけになった。 光明学園相模原(神奈川)では4球団から調査書が届くも、ドラフト指名漏れを経験。秀子さんから「プロに最短で行けるのは独立じゃない?」と背中を押されたことで、阪神との縁が生まれることとなった。 入団したBC・埼玉で、昨年から2年連続で阪神2軍の春季キャンプにブルペン捕手として参加することができた。くしくも、幼少期に強烈な印象を抱いた金本知憲と同じ4月3日生まれ。さかのぼれば、この時点から運命めいたものがあったのかもしれない。秀子さんは言う。「阪神さんに指名されたら、と思っていた。1年でも長く、プロの世界でプレーしてほしい」。野球にのめり込む機会をつくってくれた阪神との縁に感謝するとともに、希望に満ちた未来に思いをはせた。(石崎 祥平) ◇町田 隼乙(まちだ・はやと)2003年(平15)4月3日生まれ、神奈川県出身の21歳。光明学園相模原では3年夏の神奈川大会初戦の慶応戦に「1番・捕手」で出場し4打数無安打で敗退。BC・埼玉では1年目から正捕手を務め、今季は出場51試合で打率・323、5本塁打。1メートル86、88キロ。右投げ右打ち。