放送界の先人たち・岡田太郎氏~“昼メロ”の生みの親が明かす誕生秘話~【調査情報デジタル】
※実相寺昭雄(じっそうじ・あきお<1937~2006>)、村木良彦(むらき・よしひこ<(1935~2008>)、今野勉(こんの・つとむ<1936~>)いずれもTBS出身のディレクター(後述)。 大山 そうですね、昭和10年から12年くらいです。 岡田 その人たちに、また一つテレビですごく新鮮な、あの当時としては、目を見張るようなものを見せて頂いた。あの興奮というのもいまだに忘れないような気はします。何か妙に、別にきちんとした交流があったわけじゃないけれども、何かあの頃を知っているのです。僕なんかは一緒に箱根へ遊びに行ったりとか、何かしているんです。今にして思うと、どうしてかなと。たぶん円谷さんでしたか。 大山 円谷一さん※。 ※円谷一(つぶらや・はじめ<1931~73>)TBSのディレクターから円谷プロダクションに。「ウルトラQ」以降のウルトラシリーズを制作。父は特撮の第一人者、英二。 岡田 あの人なんかの縁かな。あの人が若手をかわいがっていて、一緒に連れていったのかな。 大山 そうかも知れません。早くに亡くなりましたけれども、「ウルトラマン」を作るちょっと前です。若い連中を連れて遊んでいましたからね。 岡田 それで、遊びに来ませんかとか言われて、妙にあの頃はそういう人たち、そんなに足繁くじゃないけれど交流があって、実相寺さんはあの頃からよく知っています。あの人は素晴らしい演出をしていて、びっくりしました。見るのが楽しみみたいなね、今度はどんなものが出てくるのだろうと。 大山 そういう時代でしたね。私はNHKさんと、和田さんとか、あのへんの人たちと交流がありました。フジテレビ時代の岡田さんと、dAグループ※と言うんですか。そういうのを通じて、ということもありました。 ※ 1960年、テレビ制作現場でAD業務を体験したTBSの若い世代が、同人誌「dA」(ダー)を発行。そこに集まった村木良彦、今野勉、並木章、実相寺昭雄、高橋一郎らの執筆グループを指す。3号で廃刊になったが「茶の間の温度を変え、大衆への挑戦による大衆の獲得」といった挑戦的スローガンは、自局より他局の制作現場への反響が大きく、はじめてのテレビ論として話題になった。