「過呼吸で大豆バーしか喉を通らない」仕事で精神的に追い詰められた女性を救った先輩の「ひと言」と芸人転身の大胆決断
求められる仕事の質や量、それに本人の向き合い方によって、心身が異常をきたすこともあります。大手企業に入社した年にそれほどの負荷を負った石井てる美さん。そこからエリートコースを歩まず、畑違いの芸人を目指した理由とは?(全3回中の2回) 【写真】芸人のアホ顔とのギャップがすごい!石井てる美の素顔(全15枚)
■夜中に胸が締めつけられる痛みで飛び起きて ── 2008年にマッキンゼーに入社し、コンサルタントとしてのキャリアをスタートされました。仕事は激務だと聞きますが、いかがでしたか?
石井さん:とにかく多忙でしたね。強制されているわけではないのですが、深夜まで働くことが多かったですし、資料作りに追われて、気づけば空が明るくなっていたことも。当初はハードワークではあったものの、提案したものがクライアントに喜んでもらえると役に立てたことが実感できて、嬉しかったです。ところが、その後だんだん苦しい日々へと変わっていきました。 ── なにかきっかけがあったのでしょうか? 石井さん:入社した2008年秋にリーマンショックが起き、その影響で社内でのプロジェクトが一時的に減ってしまったんです。経営コンサルタントは自分自身が商品のようなものなので、 「まずは社内で買われてクライアントのプロジェクトに入ってナンボ」というところがあります。優秀な同期は、相変わらずクライアントのプロジェクトを担当できているのに、自分には仕事が回ってこない。いま思えば状況がよくなるのを待てばいいだけだったのですが、当時は取り残されていくようで、焦りが募りました。
年明けになって、ようやくチャンスがめぐってきて、あるクライアントのプロジェクトに入ることができたんです。ところが、その内容が難解でついていけなくて。担当者は外国の方でやりとりはすべて英語。英語は得意なはずなのに、プロジェクトのレベルが高すぎて話の内容が理解できず、コミュニケーションもうまくいかない。必死になって四六時中、資料とにらめっこするものの、頭に入ってこない。クライアント先に常勤していたので、同期と話をして息抜きすることもできず、相談できる相手もいません。思うような成果があげられず、社内評価が下がってしまうことにおびえ、どんどん気持ちが追い込まれていきました。