日本男児・サイトウ曹長が見た"戦争の生と死のはざま"「任務の内容は遺体を運ぶこと。残ったのが片腕や片足だけってときもありました」
「ヘリの底に、ロープを出したりするヘルホルツというパカッて開けられる穴があって、そこから吐くんです。まあたいてい間に合わなくて床を掃除することになるんですけど。 ちなみにトイレはないので、小をする場合は安全ベルトを腰に巻いて、後部ハッチから立ちションです。大は我慢するしかない」 そんなCH53ではどんな任務をこなしたのだろうか。 「カリフォルニアは乾燥地帯なので夏には必ず山火事があるんです。それを空から消火するのも海兵隊の仕事にはありました。 先ほど言ったヘルホルツからロープを出して、バンビバケット(空中用消火バケツ)をつるします。そして湖や海まで行き、ホバリングしながらそのバンビバケットを水で満たして、火災現場に行って指示された地点に水を投下します。一度のフライトで、何回か水源と火災現場を往復します。 ただ、53はものすごく燃料を食うので、現地のガソリンスタンドで燃料を補給する必要が出てきます。量も量なのであらかじめガソリンスタンドには伝えておくんですけど、行ったら30箱くらいピザをくれるんです。 もちろん軍人へのリスペクトもありますが、1回の補給で数百万円くらいは支払うからでしょうね。それを搭載してミラマーに戻ります。整備士たちもそれを知っているから、『今日は何をもらった?』って聞いてくるんです」 その後、ミラマー基地はピザ祭りとなる。 「最終的には災害派遣2回と、ミラマーの航空祭2回。映画撮影も何回かやって、あとネバダ州のクリーチ空軍基地にも何回か行ってます。 あそこに行くときはエリア51(機密性の高い米空軍基地)の横を通るのでパイロットも緊張するんです。後ろに乗ってる俺らもビクビクですよ(笑)。イラクじゃ撃ち落とされないけど、エリア51の上を通ったらウチら軍隊でも余裕で撃ち落とされますから」 そして海兵隊に入って6年目、サイトウ軍曹は運命の決断をする。 「海兵隊幹部試験を受けようと思ったのですが、年齢制限に引っかかって受けられなかったんです。それで調べていたら、米陸軍ならば32歳まで受けられると知って、米海兵隊を除隊しました。ケガ人を見すぎたのも除隊理由のひとつです。そして、米陸軍の幹部試験に合格し、陸軍に入隊しました」 サイトウ曹長の米軍を巡る冒険は、海軍と海兵隊を経て、陸軍に移る。 最終回「陸軍・兵站(へいたん)大学編」に続く――。 取材・文/小峯隆生