日本男児・サイトウ曹長が見た"戦争の生と死のはざま"「任務の内容は遺体を運ぶこと。残ったのが片腕や片足だけってときもありました」
「帰りはオーストラリアのパースに寄って、そこで4泊しました。ただ、自分は風邪を引いてしまい何もできなくて......。その代わり、次の経由地だったハワイのパールハーバーで停泊したときには遊びましたね。 仲が良かったヘリの整備士たちと5人で街に繰り出しました。俺以外、全員白人でね。『日本食が食いたい』と言われたので『それじゃあ焼き肉だ!』となり、もう米、肉、ビールをガンガン飲んで食べて。酔っぱらって艦に戻れなくて、どこかのホテルで皆で寝ました」 兵士の体を治すフライトメディックと、そのヘリの機体を直す整備士という取り合わせだ。そして艦はハワイを出発する。 「艦を下ろされて、ハワイから飛行機で帰らされる隊員も100人くらいいました。というのも、『タイガークルーズ』といって、希望する隊員はその空いたスペースに家族を乗せることができたので。自分はひとりだったんですけど、最後まで艦に乗っていたかったので艦に残りました」 隊員と家族を乗せた揚陸艦は1週間かけて穏やかに航海し、ついに1年ぶりとなるアメリカ本土がサイトウの眼前に広がった。 「揚陸艦が入港する前に、ウチらヘリ乗りはヘリに乗って発艦して、ミラマー航空基地に帰りました。基地には隊員の家族が待ち構えていて、着陸したヘリは同時にエンジンを止めて任務を完了する。 『ハリウッドシャットダウン』って呼ばれるやつです。ヘリを降りると皆の家族がワーッと集まってきてね。それを見て『俺には誰もいねえな』とか思いながら格納庫まで歩きました」 寂しさあふれるウォーヒーローの帰還。しかし、祝ってくれた人はいた。 ■アメリカで軍人に向けられるまなざし 帰国してから数日後、サイトウ軍曹はサンディエゴのステーキハウスにいた。一緒にいるのはハワイで遊んだ4人だ。あのときは焼き肉だったが、戦場では『生きて帰ったらステーキを食おう』と常に言い合っていた。その約束を果たそうという日だった。