日本男児・サイトウ曹長が見た"戦争の生と死のはざま"「任務の内容は遺体を運ぶこと。残ったのが片腕や片足だけってときもありました」
「皆でステーキを食って、ビールもたくさん飲んで、イラクでの思い出話もしてね。それでいざ会計をしようとしたら、『もうお支払い済みですよ。あなたたち軍人でしょ?』って。 どうやら俺らの会話が聞こえていた人が代わりに支払ってくれたみたいなんです。『誰か教えてください』って頼んでもダメって言われました」 アメリカでは国のために命をかける軍人に、市民から敬意と感謝の視線が向けられる。 「軍人におごるみたいなのはアメリカではよくある話なんですよ。最初にメディックの術科学校が終わって、シカゴから岩国に行くときにもありました。シカゴ空港のレストランで海軍の制服のまま飲んでいたんです。私服なんて持っていませんでしたから。 そしたら知らない人たちから『俺の親父も昔は海軍だった』とか『身内に海軍がいたんだ』って話しかけられて、皆がバーでおごってくれたんですよ。『アメリカってスゲー!』って思いました」 そんなサイトウ軍曹は、イラクから帰国後に30日間の休暇を取っていた。 「2年ぶりに日本に帰国するためです。でも、成田に着いてもまだ『日本に帰ってきた』って感じがしなくてね。『そんなもんか』と思いながら、成田エクスプレスに乗っている間に食べようと、コンビニでアサヒの缶ビールとツナマヨのおにぎりを買って。 車内でそのおにぎりを食べたときに、『ああ、俺はやっぱり日本人なんだな』って思いました。全身の力が抜けるというか、『今は軍人じゃなくて堅気なんだな』って」 ■ヘリ部隊の日常的な業務 日本からミラマー基地に戻ってしばらくすると別の部隊に異動が命じられ、ヘリもCH53に変更された。 「53は大きくて大好きです。だけど低空を飛んでいるときはかなり揺れるので吐きます。しかも、燃料のにおいもずっとキツくて。ガソリンスタンドにいるみたいな。それで揺れるので、何回も吐きました」 機内で吐いたら大変では?