日本男児・サイトウ曹長が見た"戦争の生と死のはざま"「任務の内容は遺体を運ぶこと。残ったのが片腕や片足だけってときもありました」
「五体満足なときはまだマシですよ。残ったのが片腕だけとか、片方の足だけってときもありました。内臓がグチャグチャとかね。どんな状態であれ基地に持って帰り、基地に常駐している牧師さんに弔ってもらいます」 米兵の遺体はすべて故国まで送られる。ひつぎの中に丁寧に入れられた状態で、だ。 「いろんな状態の人体をメディックは見ないといけない。だからでしょうね、いまだに毎朝午前3時に目が覚めるんです。PTSDです。不思議なことに、どの国のどのタイムゾーンにいても朝3時なんです。それでもなんとか寝ます。翌日の課業があるので」 戦場から五体満足で生還しても、心や精神をやられる帰還兵は多い。 ■イラクで亡くなった仲間のことは忘れない サイトウ軍曹の心身を少しずつ削っていたイラク派兵も終わりが近づいていた。 「通常、イラク派遣は12ヵ月で、長い人だと16ヵ月でした。自分たちは艦に往復2ヵ月乗っていたので、戦地にいたのは10ヵ月。最後の1ヵ月は、戦争映画のように帰還するまでの日数をカレンダーで数えたりしていました。 ただ、下っ端のわれわれは正確な帰還の日程までは教えてもらえないんです。一度、『72時間後に帰れます』と言われて喜んで待っていたのに、さらに3日も延長されました。 というのも、帰る際に3グループに分けられるんです。最初にヘリの整備士をクウェートに送り、次に機体と共に主力が帰る。そして、メディックはギリギリまで必要だとされて、自分含め10人くらい最後まで残されたんです。そしてついにC17輸送機に乗って、クウェートに戻りました」 遠のくイラクの地平に重なるように、10ヵ月の激動が眼底に再現される。 「自分の部隊も数人死んでます。ひとりはクウェートに到着した初日、艦の開いたランプ(傾斜路)の下敷きになって事故死。次に1、2週間たった頃に基地の外で地雷にふたりやられて。ひとりは亡くなり、もうひとりは両足を失いながらも生還して米国に帰国しました。残りは戦闘中でした。その数人のことは絶対に忘れないです」 海兵部隊は揚陸艦に乗り、ペルシャ湾をたつ。