日本男児・サイトウ曹長が見た"戦争の生と死のはざま"「任務の内容は遺体を運ぶこと。残ったのが片腕や片足だけってときもありました」
米海軍に入隊したサイトウは海兵隊転属の命令を受け、米ミラマー海兵隊航空基地に配属された。サイトウは激化するイラク戦争の上空を飛ぶヘリに乗っていた。負傷者を後送する衛生兵・フライトメディックとして戦場の最前線と航空基地を往復する任務に就いているのだ。 【写真】戦場を飛び回ったサイトウ曹長とCH46中型ヘリ 「五体満足なときはまだマシですよ」とサイトウは話す。凄惨な状態の遺体もヘリに乗せて基地に戻すのが使命だ。サイトウがイラク戦争の生と死のはざまで見たリアルな光景、そして戦地からアメリカと日本に戻ったときの心中を語る。 【"米軍全クリ"に最も近づいた日本男児 サイトウ曹長の米軍を巡る冒険譚 〈第3回 イラク戦争後編〉】 * * * ■遺体を運ぶ任務「エンジェルフライト」 海兵隊員のサイトウ軍曹(当時)はイラク戦争の戦火の中にいた。イラク西部、アル・アサード航空基地では、前線の負傷兵を救出し基地に後送する任務が続いていた。 サイトウ軍曹はCH46中型ヘリで駆けつける衛生兵、フライトメディックとしてイラク上空を飛ぶ。 負傷するのは軍人だけではない。 「通訳のために現地の言葉が話せる人も米軍部隊と一緒に最前線に出ているんです。彼らが戦傷を負った場合もウチらが搬送します。 ただ、彼らは言うことを本当に聞かなかった。言葉は通じるのに、やりたい放題というか......。『静かにしろ』と言えば騒ぐし、『動くな』と言えば動き回る。彼らをコントロールするのはきつい仕事のひとつでした」 イラクという場所の難しく込み入った事情がそうさせているのかもしれない。 「また、自分は関わっていないのですが、敵の捕虜を運ぶ任務に当たった部隊はかなり大変そうでした。十数人の手を縛り、目隠しして、膝立ちさせて運ぶんです」 しかし、それでもまだ心臓が動いているだけいい。 「『エンジェルフライト』という任務がありました。任務の内容は遺体を運ぶこと。戦死した米軍隊員はもちろん、イラク兵も同盟国軍の遺体も。 遺体はビニール製のボディバッグに入れて運ぶこともあったし、ステンレス製の箱に氷と一緒に入れて運ぶこともありました。暑い地域だから腐敗の進行が早いんです」 思い出しながら、サイトウ曹長は複雑な表情を浮かべる。