実は「身長」は関係ない!? 自身170㎝でU-16日本代表ヘッドコーチ歴任の富樫選手の父の考え
中学時代から父親を超える発想でチームをリードしていた勇樹選手
勇樹選手も小柄ゆえ、ミニバスケットボール時代からポイントガードの役割を担った一人だ。 「飛び抜けて小さかったんです。中学に入学したときでさえ148㎝でしたから」 けれど、バスケットボールのセンスは抜群。小学生時代はミニバスケットボールでプレーしていたが、そのころから群を抜いていたとか。 「小4のときには小6の選手と互角以上に戦っていた。そのころの勇樹を見て、将来は一流プレイヤーになると確信しました」 その後、勇樹選手は英樹さんが監督を務める中学校に入学。1年からレギュラーを務めたが、英樹さんが勇樹選手に指導することは、ほとんどなかったとか。 「勇樹は僕の発想を超えているところがあった。だから、教えることがそんなになかった。『さぼるな』と言うぐらいでしたね(笑)」 物怖じせず、視野を広くもち、つねに冷静に状況を判断する。そんなことをどこで身につけたのだろう。 「僕が家でNBAのビデオを見ているときは勇樹も一緒になって見ていました。おそらく僕がいないときも見ていたんでしょう。それでいろいろ研究していたのかもしれない。映像を見て、それを体現できる子だったんでしょう。天才肌かなと思います」 「あれで身長があれば今ごろアメリカで活躍していたかもしれない」と英樹さんは言う。身長を伸ばすために食事の工夫などはしたのだろうか。 「そんなことをしても食べなかったと思います。今は離れて暮らしているのでわかりませんが、子どものころは偏食で、肉とポテトとアイスクリームが主食でした(笑)。野菜は絶対食べなかった。 素直に親の言うことを聞くような、簡単な子ではなかった。だからこそ、中学を卒業して、一人でアメリカに行くこともできたんでしょう」 これまで勇樹選手が親に自分の将来について相談することも一度もなかったという。アメリカに行くときでさえ、アメリカの高校を友人と見学に行って、帰ってきたときにはすでに行くことを決めていたとか。 ◆「人生のポイントガード」になってくれることが指導者としての夢 英樹さんがこれまで赴任したのは、市内大会でも1回戦敗退してしまう公立の中学校。それが赴任2年目では県大会で優勝し、3年目には全国優勝を狙えるようになる。無名の公立中学校を全国大会で日本一を狙えるまでにする――どうやって指導すれば、そうなるのだろう。 「強くなるには目線を変えること」と英樹さんは言う。 「最初に赴任した中学校では全然勝てなかった。どうすればいいのか、当時共同石油(現在のENEOSサンフラワーズ)を率いていた中村和雄先生に聞いたところ、『日本一を目指せ』と言われたんです。それを聞いて一晩で変わりました」 日本一を目標にすると、市内大会1回戦突破を目標にしていたころと日ごろの練習も変わるし、心持ちも変わってくる。 「何より大事なのは、監督の熱量。強くしたい、こうしたら強くなれると、情熱をもって指導するから子どもたちもついてきてくれたのではないかと思います。日本代表チームもトムさんの情熱を感じているのだと思います」 日本が誇るポイントガード富樫勇樹選手。息子に期待することは? 「身長が低くても、あれだけ活躍できている。子どもたちに夢や希望を与えられる存在であってほしいなと思います」 高校生を指導する立場からも一言。 「教え子たちには人生のポイントガードになれと言っています。指示待ちするのではなく、指示できる人間になりなさい。自分で考えて、自分で行動して、自分で責任をとれる大人になってほしい」 取材・文:中川いづみ
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