【RIZIN】サトシに「UFCへの気持ちはない」理由 亡き父から受け継いだ黒帯「日本のMMAがまだ強いと見せたい」
最期に父から渡された黒帯「この経験で私は強くなった」
「日本に来たときはまだ紫帯だった。そんなに深くは考えずに、大会に出て名前を作りたいと思っていた」少し目を細めながら当時を回想する。しかし待っていたのは苦しい生活だった。 「3年くらいは会社員として、朝の8時から夜の7時か8時くらいまで工場で部品を作る仕事をしていた。帰っても練習ができなくて、もう格闘家としての未来はないなと思った。私は強くないなと思った」 そんなサトシの支えになったのが兄ともう一人、大みそかに共に参戦する元RIZINフェザー級王者のクレベル・コイケだった。 「(クレベル)に初めて会ったのは日本のジム。当時は普通のジムの生徒同士という関係だった。でも一緒に大会に出るようになって少しづつ仲良くなった。その後少し考えて仕事を辞めた。それでお金がすぐ無くなって、三人で一緒に住んで、格闘家としての人生をみんなで頑張り始めたんだ」 2010年には、東京で行われた「DEEP X06」ブラジリアン柔術のスーパートーナメントで優勝。茶帯のサトシが黒帯所持者3人を倒す快挙だった。日本での生活も軌道に乗り始めた。そんな矢先、ブラジルから悲しい知らせが届く。師でもある最愛の父親が末期のがんに侵されていた。 「4月1日の朝ぐらいかな。お父さんが危ないと連絡があって、兄弟で病院に駆けつけた。(父は)もう元気がなかった。お父さんはベッドの横のバッグから黒帯を取り出して僕に言った。『ごめんね。お兄ちゃんたちに黒帯をあげるときはパーティをしたのに。あなたにはできない。でもあなたに黒帯をあげたい。(ついに)黒帯になったね』って。その場で帯を締めてくれた。それが昼の3時くらい。その後、夜の8時ごろにお父さんは亡くなったんだ」 「とても悲しかった。子どものときから黒帯になるのは幸せなタイミングだと思っていた。でもこの経験で私は強くなった。考えることも変わった。人生が変わったんだ」
「UFC」への待望論も、サトシのRIZINへの思いとは
数多くの困難を乗り越え、21年にはRIZINのライト級王座を獲得。以降3度の防衛に成功し、ファンからは朝倉海が挑戦した「UFC」への待望論が聞こえるほどの絶対王者として君臨している。 「最初はMMAへの気持ちはそんなに無かった。ライト級を選んだのもお兄ちゃんが77キロ、クレベルが66キロで人がいなかったから。3、4試合だけやるイメージだった。アメリカへの気持ちは今もそんなにないよ。できるなら日本のRIZINで世界のトップ選手と戦いたい。世界の人はみんな『PRIDE』のころは凄かったという。だから私が(現役で)いる限りは、世界に日本のMMAがまだ強いというのを見せたい。このベルトを守りたいんだ」 「試合前は色々考えるけど名前が呼ばれて音楽が流れると全部忘れるんだ。(リングに)向かって歩くとあとは勝つことに集中するだけだ」 30分近くに及んだインタビュー中、サトシは右膝に乗せたベルトを片時も離さなかった。天から見守る父がブラジルから愛した国のベルトは絶対に渡さないと、間近に迫った防衛戦に向けて覚悟を決めていた。
浜村祐仁