東大が授業料値上げ 大学の学費はだれが負担すべきなのか? 筑波大学長と早稲田大総長が提言
東京大学が2025年度の学部入学者から授業料を約10万7千円値上げし、64万2960円にすることを明らかにしました。一方、日本の大学では学生の8割が私立大学に在籍し、国の助成金が国立大学に比べて著しく少ないことから、国立大学との格差が長年指摘されてきました。国立大学協会会長を務める筑波大学の永田恭介学長と、日本私立大学連盟会長を務める早稲田大学の田中愛治総長は、「大学の授業料」について、どのように考えているのでしょうか。 【写真】筑波大学の永田恭介学長
いま、国民的議論が必要
――国立大学協会は2024年6月、国からの運営費交付金の減額や物価の高騰により、財政が「もう限界」「危機的な財務状況を改善するために理解をお願いする」という声明を出し、話題になりました。国立大学の授業料標準額は2005年度から約20年間、53万5800円に据え置かれ、授業料を値上げしたのは東京工業大学(現・東京科学大学)、一橋大学など6大学にとどまっています。授業料の値上げについて、どのようにお考えでしょうか。 筑波大・永田学長(以下、永田学長):国立大学の授業料が安いのは事実です。高度な教育を行うためには財源を増やさなくてはなりません。そのお金をだれが負担すべきなのか、国民的な議論が必要です。私は受益者である学生と、同じく受益者である社会の両者が払うべきだと考えています。社会というのは国も産業界も含めた社会全体です。 では、個人と社会がどのくらいの割合で負担すればいいのでしょうか。これは国家観の問題なので簡単ではありません。国が全部負担するフランス型と、受益者である学生が払うべきというアメリカ・イギリス型のどちらの社会にするのか。つまり、今まで通り社会主義的な政策をとるのか、超新自由主義的な政策をとるのかという選択です。ただし、アメリカ、イギリスには、多額の寄付文化があるところが日本とは大きく違い、その点は留意しなくてはなりません。 授業料を値上げしたら、経済的に通えない学生を奨学金などで支援する必要があります。しかし、なぜ大学が富の再配分をしなくてはならないのでしょうか。それは行政がやるべきことです。個人だけ支払いが増えて、社会は何の責任も負わないというのはおかしい。経済的に恵まれない人の支援と授業料の値上げは、どちらもないとダメなのです。 例えば、寄付税制を変えて、社会への投資が大学に入るようにする。そういうことをしない限り、授業料を上げるのは難しいと思います。日本は公と私がちょうどよく折り合っている国です。この中庸どころの考え方がイニシアチブをとれる議論をみんなでしないといけないと考えています。 ――24年3月に、文部科学省の諮問機関である中央教育審議会の特別部会で、委員の一人である慶應義塾大学の伊藤公平塾長が「国立大学の授業料を150万円程度に引き上げるべき」と主張し、その後に東大の授業料値上げ問題が出てきたことで、授業料のあり方がこれまでになく議論を呼んでいます。 早稲田大・田中総長(以下、田中総長):私が早稲田大学の教務担当理事だった12年前、世界のトップスクールの学生1人当たりの年間の教育研究費を計算したことがあります。当時、ハーバード大学が370万円、コロンビア大学が340万円、東京大学が330万円、慶應義塾大学が175万円、早稲田大学は155万円ぐらいでした。慶應は医学部があるから高いのでしょう。 伊藤塾長が国立大学の授業料を150万円程度にと言ったのは、大雑把にいうと、学生1人当たりの教育研究費が年間300万円程度かかるから、その半分は受益者負担にしたほうがいいということで、根拠のある数字だと思います。アメリカの大学では、経済的に困っている学生には奨学金を出すのが一般的です。特にハーバード大学は非常に高額の授業料を設定していて、非常に裕福な家庭の学生が集まりますが、そこからいただいた授業料を再分配します。地方のごく普通の家庭から来た、ものすごく優秀な学生は授業料を全額免除され、生活費まで支給されます。ただ、アメリカの大学でも、所得の再分配の機能は果たさないというところもあり、家計が苦しい学生の授業料は寄付から払っていました。所得の再配分は各私立大学がやればいいという意見もありますが、なかなかそうはいきません。 もう1つ考えてほしいのは、国立、公立、私立という設置形態の違いではなく、大学の機能の違いです。理工系や医学系の研究大学は教育研究費が高くなり、教育に特化している大学はそれほど高くなりません。