「プロ野球90年」ニュースキャスター大越健介さんが語る野球への思い 「広沢君、小早川さんには何を投げても打たれた。プロにいく人たちは桁が違う」
発足から90年を迎えたプロ野球への思いを聞くインタビューシリーズ。テレビ朝日「報道ステーション」のメインキャスターを務める大越健介さんは、東大時代は野球部のエースとして東京六大学リーグで通算8勝を挙げた。人生をともに歩んできた野球への愛情を語った。(聞き手 共同通信=小林陽彦、児矢野雄介) 【写真】ティモンディ・高岸宏行さん、プロ選手を目指した日々 2球団がドラフト下位か育成選手での指名を検討しているという話を聞いたが… 「諦めたのは挫折ではありません」
▽「ON」に興奮 小学校1年生ぐらいの時に、両親がグラブとミットを三つ上の兄と僕にプレゼントしてくれました。一緒に野球をしたり、家の中で相撲を取ったり、昭和の頃の普通の兄弟。毎日のように兄と、家の前の道路とか、刈り入れが終わった後の田んぼとかで、ひたすらキャッチボールし続けました。やっぱり野球でしたね。 故郷の新潟でも巨人戦のナイターは放送していたので、「ON」の打撃に興奮しました。中継が終わるのが悔しくて、翌日の新聞が楽しみでしたね。新聞では巨人戦だけじゃなくて、他の試合のスコアテーブルもある。阪急の福本ってすごいなとか、普段見ないパ・リーグもチェックしながらいろいろと空想して、オールスターでパ・リーグの選手の姿を見て興奮したり、当時デーゲームでやっていた日本シリーズを見るために走って帰ったり。ジャイアンツはなじみがあるし、V9時代で強くて魅力を感じましたけど、野球全部が好きでした。 記憶にあるのは巨人―阪神で、阪神のサイドスローの上田二朗さんがノーヒットノーラン寸前までいって、九回2死から長嶋茂雄さんがレフト前にクリーンヒットを打った。「長嶋さんは持っている人なんだな」と思ったり、ノーヒットノーランを阻まれた上田選手の心情を思ったり、テレビを見ながら想像をたくましくしましたね。
▽お手本は鹿取さん 東大では本当は内野手をやりたかったんです。体も小さいし、器用な球さばきみたいなのが好きだったのですが、チーム事情がそういうわけにもいかなくて、ピッチャー経験者だったので「お前投げろ」と言われて1年の夏ごろからピッチャーをやりました。 いろいろなプロのピッチャーを見ましたが、「こういう風になりたいな」と思ったのは鹿取義隆さん。何がすごいって、どんな場面でも出ていって黙々と投げること。巨人が王貞治監督の時には「何でもかんでも鹿取」と言われたぐらいでした。 抑えでも中継ぎでも、場合によっては先発でも、すごいタフネスで淡々と投げる。体はそんなに大きくないけれど、しなやかな体の使い方のサイドスローで、あのタフさとひたむきさには非常に刺激を受けました。 その後重用されなくなって巨人を去るんですが、西武へ移籍してからがすごくて、ベテランになっても巨人在籍時と同じぐらいの成績を残している。どんな場面でも顔色一つ変えずに投げてくれるので、監督からすればこれほどありがたい選手はいないんじゃないでしょうか。