28歳で人生を終えた勝武士を新型コロナから救うことはできなかったのか?
しかも、相撲ジャーナリストの荒井太郎氏によると、「勝武士は、糖尿病の持病を持っていたので、新型コロナの特徴といわれる、疾患を持つ患者の重症化にあてはまる危険性はありました」という。基礎疾患のある新型コロナ感染者は早期治療が必須とされており、この初動遅れが、結果的に勝武士の命を縮めることにつながってしまった可能性は否定できない。 この日、小池百合子都知事は、これらの対応について質問され、「わずか28歳の力士が新型コロナウイルスで亡くなることは大変、衝撃でもあります。どのような形で対応されたか、よく確認したい。当時、さまざまな課題があったと思う。そのへんは、よく検証していきたい」と、感染者が増大した4月上旬の時点で万全の医療体制を整えることができていなかったことを暗に認めた。 勝武士の初土俵は2007年春場所で、最高位は東三段目11枚目だった。 前出の荒井氏によると、勝武士は、「性格は明るく楽しく、体は小さかったが、相撲を本当によく知っている力士でした」という。 巡業では、よく「初っ切り」に指名された。巡業などで、禁じ手などをコミカルに演じて紹介する江戸時代からの伝統の見世物で、“大”vs“小”の力士を組み合わせるケースがほとんどで、その“小”の代表力士が、165センチ、108.6キロと小さく、敏捷に器用に動く勝武士だった。 高田川部屋の幕内力士、竜電を兄弟子と慕い、「いつか超えたい憧れの力士」と目標にしていた。山梨県甲斐市にある竜王中学の柔道部の先輩後輩。竜電に憧れて同じ部屋に入門、ずっと付き人を務め、その”相撲脳”を生かし「竜電関の参謀的な役割もしていた」と荒井氏が言う。 相撲協会は、角界に初の感染者が出たことを4月10日に匿名で発表したが、この感染第1号が勝武士だった。その後、高田川親方(元関脇・安芸乃島)が18日の週に発熱を訴え23日に都内病院に入院し24日に陽性反応が判明。同部屋の十両、白鷹山に発熱はなかったものの濃厚接触者として24日にPCR検査を受け陽性が確認された。他に幕下以下の力士4人も陽性反応を示し、高田川部屋内では複数人の感染を引き起こしていた。 親方、白鷹山ら5人の力士はすでに30日に退院している。