プロコーチでYouTuber、中井学をツアー出場に駆り立てるフランク・ジョーブ氏との約束
<コスモヘルスカップ シニアトーナメント 初日◇1日◇鳩山カントリークラブ(埼玉県)◇6904ヤード・パー72> 笑顔がはじける! 大会の「盛り上げ隊」隊長を務める元AKB48の山内鈴蘭【写真】 プロコーチ、そして人気YouTuberとしても活動している中井学(52歳)が、国内シニアツアーの「コスモヘルスカップ シニアゴルフトーナメント」に主催者推薦で出場している。今大会に出場するのは3年連続3回目で、22年は67位タイ、昨年は78位タイ、昨日の初日は2バーディ・3ボギー・2ダブルボギーの「77」で81位発進。成績こそ振るわないが熱い思いを持ってシニアツアーに臨んでいる。 選手の活躍をサポートし、YouTubeではチャンネル登録者数27.3万人と、成功を収めてきた中井。プロのトーナメントに出場することは、築いてきたキャリアに傷をつけることになりかねない。それでも出場する理由の1つにツアープレーヤーたちへのリスペクトがある。 「あくまで僕らコーチは後ろで支えているだけの存在で、目立たなきゃいけないのは選手たちです。自分でもそこは線引きしてやってきた。いかに彼らがすごいかを伝えていきたいし、自分自身が実際に試合で出て感じることで、人としてもゴルファーとしても間違わないと思う。そこは1つ、ライフワークとしてやっていきたいです」 そしてもう1つ、40歳を超えてツアーに挑戦するきっかけとなったのは、左ヒジにある大きな手術跡が関係している。 中井がゴルフと出会ったのは中学生のとき。小学校4年生のときの事故により左上腕を骨折。同時に左ヒジを脱臼した。当時の外科医が脱臼に気付かずに固定したため、左ヒジの神経と腱がズレてしまった。当時は野球と剣道に打ち込んでいたが、左ヒジの腱が「ポコポコといって」、痛みや痺れがひどかったため、やめてしまった。「ふてくされた」息子を見かねた父が「これだったらできるだろ」と始めたのがゴルフだった。 それでも左ヒジは完全ではない。「18ホール回ると左手の握力はまったくなくなる」。ジュニア時代には「この腕では無理だろう」と一度ゴルフを離れたが、「やめたらまたやりたくなった」。高校3年時の1990年には「日本ジュニア」出場を果たし、そして大学は米国カリフォルニア州のシトラスコミュニティカレッジに進み、ゴルフ部で腕を磨いた。 22歳のときに転機が訪れる。「僕が大学のときに一番中が良かったチームメイトの彼女に『卒業したらどうするの?』って言われて、『プロを目指したいけど…』と左ヒジの腱がポコポコ動くのを見せたんです。そうしたら『早く言いなよ。私がいい医者を紹介してあげる』と言って会わせてくれたのが、フランク・ジョーブさんでした」。 フランク・ジョーブ氏は整形外科医で、村田兆治、桑田真澄、松坂大輔、ダルビッシュ有、大谷翔平といった選手たちが受けたじん帯再建手術、トミー・ジョン手術の生みの親で第一人者。普通は「会うだけで1年以上かかります」というところ、なぜかチームメイトの彼女に相談したら2週間で診察を受けられて、3週間後には左ヒジの神経と腱の場所を動かして痺れを取り除く手術が終わっていた。 「彼女のお父さんの会社の顧問弁護士がジョーブさんの息子さんで、ホームドクターでもあった。彼女たちもジョーブさんが有名人だったって知らなくて、『ただのおじいちゃんだと思っていた』って(笑)」 中井はジョーブ氏に初めて会ったときのことをほとんど覚えていない。「あとでジョーブさんに聞いたら、入ってきた東洋人がいきなりギャン泣きして。『神様、神様』って言って泣いていたと。自分が10年以上苦しんでいたことが、とにかくこれで治るって思ったんです。ジョーブさんに会うのが夢でしたからね。ここで人生が変わったと思いました」。 人生の岐路で起こった奇跡。大学のチームメイトからは『お前は運を使い果たしたな』とからかわれた。「リハビリが終了した日に『何か私に恩返しできることはありませんか』とジョーブさんに聞いたんです。すると、『君がツアーで活躍する姿を見せてほしい。それが最大のお礼だよ』と言っていただいた。そのあと日本に帰って、自分が指導者として最低限食べていけるようになったとき、ジョーブさんがお亡くなりになったんです。自分はその約束を果たしていないなと思った」。 ジョーブ氏がこの世を去ったのは2014年の3月。翌15年に中井は43歳で日本プロゴルフ協会(PGA)のプロテストに2位で合格する。「人には今まで築いてきた地位を全部なくすんだぞと言われたりもした。それって落ちることが前提なんですよね。指導者の地位向上のためにトップで合格したいと思っていました」。ちなみに、その年にトップ合格を果たしたのはレギュラーツアーで通算3勝を挙げている時松隆光だった。 中井のツアー挑戦はそこから再び始まる。16~18年までは3年連続でレギュラーツアーの「東建ホームメイトカップ」に出場した。「表から堂々と試合に出たい」。今年は来シーズンの国内シニアツアー出場をかけて予選会に挑戦し1次を突破。12月に茨城県のサミットゴルフクラブで行われる2次予選に駒を進めている。それをクリアして年明けの最終予選で20位前後に入ると、来年は主催者推薦ではなく1年間を通してシニアツアーに出場できる。 「あの手術で僕はゴルフの世界にとどまることができた。あの手術がなかったらゴルフには携わっていないと思います。ジョーブさんは本当に助けていただいた恩人です。『お金とかお礼とか考えなくていいから、君はツアーで頑張れ』と言われて、それが果たせていない悔しさがずっとあった。自分が競技に出ることは、それがモチベーションです」。30年前に交わしたジョーブ氏との約束を胸に、中井はきょうもティーイングエリアに立つ。