『交通事故鑑定人 環倫一郎』作者・樹崎聖の『オートモビルカウンシル2024』見聞録「後編:エンジンとスポーツカーよ、永遠なれ」
経済の低迷によりクルマを楽しむ余裕がなくなりつつある残された時間と資産……“お楽しみ”は今だけかもしれない
ここでオートモビル・カウンシルについて話を戻す。イベント自体は展示内容や催し物を含めて充実していたが、来場客が年配の人たちばかりということがちょっと引っかかったが……。 「真っ当な社会人なら仕事で忙しい平日の日中に来場しにくいこともありますし、入場料が高額ということもあるのでしょう。土曜や日曜の開催日に訪れていたら事情は少し状況は変わったかもしれません。それに富裕層向けのヒストリックカーの展示即売会という性格の強いイベントですしね。ただ、幕張メッセ周辺は結構な数の学校もありますし、時間に余裕のある大学生などに向けて学割など安価に入れるチケットを設定するのも良いかもしれません。たとえ出展した業者にとって今はお客でなかったとしても、未来の顧客を開拓することに繋がりますしね。それに絵画でも音楽でも、あるいはボクの仕事である漫画にしても、若い頃に素晴らしい作品に巡り合うことで、その後の人生が大きく変わることもありますから。旧車イベントは各地で開催されていますが、アルヴィスやブリストルのように他のイベントではなかなかお目にかかれないクルマも出展していますし、主催者展示も内容が大変良かったです」 たしかに学割チケットで若い人にも名車を見てもらおうというアイデアは素晴らしい。ただそれで彼らが本当に来るかだが……。乗り物の趣味の中でもクルマはファンが高齢化している印象がある。昨今は若者を巻き込んでのバイクブームがあったし、鉄道は老若男女問わずに人気、各地で開催される航空ショーには幅広い世代のファンが押し寄せる。それに比べて自動車は「若者のクルマ離れ」が指摘されるようになってから久しい。 「どうなんでしょうね。ウチの嫁はボクよりずっと年が若いのですが、あまりクルマに興味はないみたいです。理由を尋ねると「コスパが悪い」って言うんですね。ちょっと良いものを買おうとすると新車は高価だし、中古車にはどうしても故障リスクがつきまとう。所有していればたしかに便利で楽しいですけど、免許取得にもカネが掛かるし、走れば高速代やガソリン代、維持するだけでも様々な税金がかかる。都市部なら駐車場代だけで安いアパートが借りられるほどの金額になることも珍しくはない。若者の収入事情は一向に良くなる気配はないですし、費用対効果の意識が高い彼らからすると『クルマは高くてとても気軽に買えないし、どうしても必要なら軽自動車を選ぶ。買えないものに興味や関心を持つだけ無駄』という考えなのかもしれません」 だが、バイクこそ乗って楽しんでナンボの世界だが、鉄道ファンで鉄道車両を購入する人は稀だし、自宅に線路を施設して列車を走らせる人などさらに稀だ。航空機やミリタリーの趣味も同様で、自分の所有物にならない飛行機のあれこれを調べたり、写真を取って航空ファンは結構楽しんでいる。戦車や銃器などのミリタリー趣味の世界では、国内では見たり触れたりできないものが興味の対象なわけで、本物を見る機会もないまま「ケーニヒス・ティーガーと大戦に間に合わなかったJS-3重戦車が戦ったらどっちが強い」だの「M16とAK47のどちらが優秀な銃か」などと同好の士どうしで過去何度も繰り返された論戦をしては楽しんでいる。実際に所有できなくても、運転することがなかったとしても、クルマだけがそうした趣味の対象にならなっていないのはどうしたわけか。 「そう言われればそうなんですけど、やはりクルマは存在として身近すぎるのかもしれませんね。ヒストリックカーやスーパーカーはたしかに遠い存在なのでしょうが、それでも大枠で括れば『自動車』なわけです。若い人にとってはバイクほど維持が現実的ではないし、鉄道や飛行機、ミリタリーほど実生活から離れてはいない。その絶妙な距離感から実用の道具としては高嶺の花であり、趣味の対象としては日常に有り触れたものになっているのでしょう。まあ、誰でもクルマを買って維持できるくらいに景気を回復させれば話は違ってくるのでしょうけど、もはや収入は上がらず、物価ばかりが高くなるのがデフォルトの世の中ですからねぇ……」 長期の経済低迷と物価の高騰で、原付やバイクならなんとか手に届くが、クルマは高嶺の花で新車でなんとか買えるのは軽自動車だけというのでは、とてもではないが若者がクルマを趣味にすることは難しいだろう。バブル崩壊後の「失われた30年」で経済的に日本は半世紀くらい時計の針が巻き戻ってしまったような感覚である。若い人が気兼ねなくクルマを楽しむくらいには豊かさを取り戻してもらいたいものではある。 「このまま景気が停滞し、若い世代がクルマに関心を向けられないような世相が続けば、やがてはカーマニアもいなくなり、オートモビルカウンシルに出展されるヒストリックカーもすべて海外に流出してしまうかもしれません。すでに空冷ポルシェや平成のGT-Rはだいぶ国外へと流れてしまいました。海を渡った名車たちはもう二度と再び日本の地を踏むことはないでしょう。こうした流れが続けば、それこそ日本の自動車文化の危機ですよ」 とは言え、昨今は政治も経済もまったく良いニュースが聞こえてこない。高度経済成長期の頃は「今日より明日、明日より明後日は生活が良くなる」と無邪気に信じることができたが、今やその反対に将来に対しては不安しかない。ただ、幸いなことに日本が豊かだった時代の文化資産はまだ残っている。旧車の世界で言えば、名車と呼ばれるクルマはかなり値上がりしたものの、まだまだ安価に手に入れられて充分に楽しめる中古車はいくらでもある。 とは言え、我々に残された時間と資産には限りがある。生活が困窮しない程度にゆとりがある人は、思い切って楽しめるうちに楽しんだほうが良いだろう。これはクルマに限らず、あらゆるジャンルの趣味に言えることかもしれない。ひょっとすると今後この国は趣味を楽しむ余裕すらなくなるほど酷いことになるやもしれないのだから。
山崎 龍