『交通事故鑑定人 環倫一郎』作者・樹崎聖の『オートモビルカウンシル2024』見聞録「後編:エンジンとスポーツカーよ、永遠なれ」
クルマの進化により人間が退化する悪循環クルマ好きのために選択肢は多く残してほしい
もちろん、技術の進化、クルマの進化を否定するつもりはない。つもりはないのだが、どうにも最近はイージードライブばかりを重視したクルマが増えている。それに拍車をかけているのが電子制御技術になるのなのだろう。もちろん、コンピューターも使い方によっては走行性能やクルマの魅力を高めることもできるのだが、現実にはそうしたクルマはむしろ少数派で、快適性や安全性の向上と引き換えに運転という行為を希薄化させたクルマが幅を利かせている。だが、結局のところ完全自動運転が実現しない限り、運転に責任を負うのはドライバーだ。ひとつ操作を誤れば楽しく便利な自動車は「走る凶器」となってしまう。 「道路を走っていると『クルマに乗る』のではなく『クルマに乗せられてる』ドライバーを見かけることが最近増えましたよね。自動車の安全性能が高まったのは良いことなのですが、反面、道路を走っていると散漫な運転のクルマや運転技術にあきらかに問題のあるドライバーを見かけることが多くなった印象です。電子制御によるイージードライブ化も結構ですが、運転という行為を希薄化させることにはボクも反対です。刻々と変化する交通環境の中で、使い方次第で危険な道具にもなる自動車を人間の理性とスキルでコントロールするからクルマの運転は面白いわけですし、ある程度の難易度があるから『上手くなろう』と向上心を持ってスキルを磨こうとするわけです。そう考えると、いたずらに安易な方向に流れてしまった現在のクルマの進化の方向性が、果たしてこれで本当に正しかったのかと疑問に思います。オートモビルカウンシルの会場で一切の操作をドライバーが行っていた時代のヒストリックカーを見ていると、ますますそうした思いが強くなりました」 結局、安全に対する意識の低い人間、基本的なドライビングスキルを持ち合わせていないばかりか、運転テクニックを向上させようという意思すら持ち合わせていない人間……つまりはユーザーの中でもボトムに合わせて法律や規制を作り、メーカーも唯々諾々とそれに従った結果、底辺のユーザーは電子制御におんぶに抱っこで安全意識がさらに低下し、ますます安全意識の欠如したひどい運転をすることになる。規制が強化され、技術が進化することで人間がますます退化する悪循環。これでは状況が一向に良くなるはずがない。規制や装備を充実させるよりも、モータースポーツを普及させたり、安全講習に力を入れるなどしてユーザーを啓蒙することで、ドライバーのスキルとクルマに対する意識を高めて行くことが大切だと思うのだ。 「ずいぶん昔、山崎さんは『MT車はクルマの運転の基本。MT車も満足に運転できない人間を量産することは危険である』とAT限定免許に対して憤っていましたが、今やMT車の運転ができる人間のほうが少数派ですよ。さらに最近では様々な電子デバイスやアクセサリーの装備が義務化されています。その結果、新車価格は年々高額化しています。ですが、これも時代の流れかもしれません。それは仕方がないことなのでしょうけど、幅広いユーザーに対して多くの選択肢を残してほしい。たとえば、それらの安全装置をワンタッチでカットできるようにするとかですね。今のクルマも機能をオフにできるクルマが多いですが、操作が複雑なものが多く、おまけにエンジンを切って再始動させると設定が元に戻ってしまいます。また、安全デバイスの話とは少し話がズレますが、欲するユーザーが少数でもいる以上、MTやガソリンエンジンは絶対残すべきですよ。今の過剰なエミッションコントロールや燃費規制もそうですが、国が強権を発動して「〇〇年までにガソリン車の製造禁止する」などと規制をかけることには反対です。地球環境を盾に他人の権利や楽しみを奪うことは、とても民主的とは言えません」 現在、各国は補助金を使ってでもBEVの普及に乗り出して入るが、笛吹けど踊らずで多くの国で販売は低調なままだ。それどころか最近は補助金が打ち切られたり、ハイブリッド車を含む内燃機関へ回帰する動きすら見られる。自動車技術の普及は経済利得や利便性も絡んで個人の選択に任せるべきことだと思うのだ。断じて国が国民の選択に干渉してはならないと思うのだ。 「昨今、どうやら風の流れが少々変わったようで、BEVを強制的に普及させようという圧力は弱まってきているようですが、またいつ規制圧力が高まってガソリン車販売が禁止しようという動きが活発化するかわからないので、『ガソリンエンジンを積むスポーツカーを変えるのはこれが最後かもしれないから』と妻を説得してボクはアルピーヌを買いました。スポーツカーの魅力はやはりエンジンに寄るところが大きいと思います。モーター駆動でも走りは楽しめるのでしょうけど、エンジンのフィーリングを楽しめるのは内燃機関車だけです。これが最後になるかもしれないと思いまして。法律には不遡及の原則があるから大丈夫かとは思いますが、石原都政の頃のディーゼル規制で泣く泣く愛車のランクルやジープを手放した人もいるから安心はできません。万が一、ガソリン車の製造だけでなく、保有まで禁止されたら……と思うと今後が心配です」 そんなことはないと筆者も信じたいが、菅前首相は欧州のトレンドと環境省の口車に乗って現実を直視しないまま「2035年までに新車販売をすべてEVにする」と宣った。日本の政治家のほとんどが庶民の生活など興味も関心もなく、現実と乖離した思いつきで政策を決めてしまいがちだ。そうなると将来、ガソリン車の保有まで禁止されるということもあながち"無い"とは言い切れないかもしれない。なにせこの国の政府は「古いクルマなどとっとと手放して経済貢献のために新車を買え」と言わんがばかりに13年超のクルマに重課税を課すような真似をしてくるのだ。しかも、「エコ」という錦の御旗に振りかざして。そうした悪辣な負担を国民に押し付けるてくるのだからまったく始末が悪い。 「ボクが愛してやまないスポーツカーですが、日本という国は自動車を利便性や経済性ばかりで評価し、環境面から悪者扱いされることの多いガソリン車の中でも、とりわけ不要なもののように見えるかもしれません。ですが、『運転という楽しさ』ということにおいては、走りに関係ない要素を切り捨たスポーツカーに勝るものはありません。別に万人に理解されなくてもかまいませんが、社会がクルマ好きの『駆け抜ける喜び』を力づくで奪い去るようなことだけはしてほしくないですね」