「あいつらだけはマジで許せない」…人類学史上、はじめてフィールドワークに飛び出した男が日記に書き殴った「衝撃の愚痴」
高まり続ける怒りと憂鬱
まずは日記の「負」の側面からみてみましょう。『マリノフスキ日記』にはところどころに、現地の人たちに対する激しい嫌悪や憤りの思いが綴られています。これは紛れもない事実です(本書では、邦訳書からの引用では、諸状況に鑑みて適切でないと思われる表記を適宜変えています)。 昨晩も今朝も、舟を漕いでくれる人を探したがつからなかった。そのため、白人としての怒りと、ブロンズ色の肌をした現地人に対する嫌悪が高じ、憂鬱もあいまって、「その場に坐りこんで泣き出したい」衝動に駆られ、「こんなことから逃げ出したい」と切望した。(B・マリノフスキー『マリノフスキー日記』谷口佳子訳、平凡社、1987年、381―382頁) 現地人たちにはいまだに腹が立つ。とくにジンジャーに対しては、もし許されるのなら死ぬほど殴りつけてやりたいくらいだ。(同書、406頁) ここで書かれているジンジャーとは、現地人の名前です。これらは、マリノフスキの内心の率直な吐露です。 舟を漕いでくれる現地人が見つからなかったことに怒り、日頃からの憂鬱も手伝って泣きたい衝動に襲われ、逃げ出してしまいたいと思ったというのが、最初の文章です。2つ目のものは、名指しで、ジンジャーには腹が立って、殴りつけてやりたいと語っています。私自身も経験がありますが、フィールドではすべての人と仲良くすることなどできません。人間には好き嫌いがあるのは当たり前のことです。マリノフスキのように現地の人たちに憤りや怒りを感じることがあっても、まったくおかしなことではありません。 私はむしろ、日記の中で嫌悪を表したり、感情を爆発させたりすることが、見知らぬ土地でマリノフスキが右往左往しながら現地人たちと交流を行っている生々しい事実を示していると感じます。外見を取り繕った内容よりも、よほど真実味があります。 それだけではありません。白人が植民地のど真ん中で現地の人たちに苛立ちを覚えることは、植民地の「ままならぬ他者」にヨーロッパが翻弄されているとも思えて、とても興味深く感じます。 さらに連載記事〈なぜ人類は「近親相姦」を固く禁じているのか…ひとりの天才学者が考えついた「納得の理由」〉では、人類学の「ここだけ押さえておけばいい」という超重要ポイントを紹介しています。
奥野 克巳