《寄稿》『ベティさんの庭』との共通点=アマゾンで生きる心構えについて=パラー州モンテ・アレグレ 大槻京子
塩野七生「完全な同化も浸透も所詮は不可能」
物語の中のベティさんは、柚子(ゆうこ)という名の日本人女性で、彼女は戦後立川基地の店で働いている時に豪州の兵のマイクと知り合い、国際結婚をして豪州に渡り息子も授かった。だが知り合いもほとんどなく、望郷への思いに耐えられなかった。その時に彼女は家を抜けだし、当てもなく歩き廻っていた。そして豪州人である夫との関係にも、お互いに苦労があったと想像ができる。 やがてベティさんは日本の漁船の船員たちと親しくなり、日本語で語り合える彼らとの時間を楽しむようになっていき、それが彼女の唯一の慰めになっていった。 作家で長くイタリア在住の塩野七生のエッセイの中で、今でも安易に外国に住み着く人への一つの警鐘ともなる文章を見つけた。 塩野七生は外国に住みつくということについて、そこでは完全な同化も浸透も所詮は不可能であることを、深く心に刻んでおくこと、互いに異なる文明のもとに生まれ育った以上、簡単に同化できたり、融合できたりとしたら、その方が偽物であるとも。 外国に住みつくということは、このように妥協の連続なのだと。そして、この種の代償を払っても住み続けるのが自分にとってトクだという確信が持てない限り、外国などに住みつくべきではないのだ、とも言っている。 そうなのだ。私の暮らしのように、ブラジル人に大きな嫌がらせを受けつつ暮らしても、解決には途方もない時間がかかり、そのうち煙のように犯罪も消えていく。妥協するしか方法がないのだろうか、といつもこの問題が私の頭から離れない。 おそらく『ベティさんの庭』で伝えようとしているのは、ただの祖国への痛切な望郷の念ばかりではなく、国際結婚をし、人も自然も含め、全ての異国の環境に適応ができなかった、彼女の深い嘆きや後悔の念であったのだろう。
受け入れ難い環境の中を生き抜く術
塩野七生が書いているように、何年異国に暮らそうが、そこの人々との同化はなく、常に異国の地に異国の人に隙間を感じながら、緊張感を持って私たちは生きていくのだ。 私のようにブラジル北部のアマゾンの奥地の村に暮らしていても、「ここは異国だ」と常に感じさせられている。時には人種差別すら感じている。ブラジル人は嫉妬心も強い。 それでも、私は人生を嘆くばかりではなく、選択した自分の人生を実のあるものにしたい、と考えている。それができるかどうかは分からないけれど。 受け入れ難い環境の中を生き抜く術を何とか学んでいかなくてはならない、とも考えている。何事も妥協の連続でもあるが、環境に負けていたらあまりにも寂しいではないか、とも思っている。 ベティさんのように苦しみに耐えがたくなり、あちこち歩き廻るのは御免である。 私は怠け者なので念願のポルトガル語の勉強も遅々として進まないが、何とか続けたい、という意志だけはあり、新しい単語をひとつ覚えるのも楽しい。また好きなブラジル音楽をもっともっと聴きたいとも思う。これらは私にとって大きな救いとなっている。 自分に残された僅かなる時間を、大事にしなくては、と考えている。 でも、ベティさんの叫びのような、望郷の言葉は、私の胸深く沁みとおるものがあり、「アマゾンに負けてはならない」「明日へ向かって頑張ろう」と自分に言い聞かせている。 そして、これからは私もアマゾンの数多の植物へも、もっとやさしい眼差しを向けなければと思う。そういう心でアマゾンの自然を見つめていれば、いつかはきっと私の好きな花の色にも緑にも出会えるであろう。 幸せなことに、私の四人の子の一人次男が今年の年末までにこの土地に戻ってくる約束で、「アマゾンで私ももう少し生き続けていたい」と願っている。