《寄稿》『ベティさんの庭』との共通点=アマゾンで生きる心構えについて=パラー州モンテ・アレグレ 大槻京子
「どのくらい大切な物を盗まれたことだろう」
考えてみれば、今まで私たちは入植してから、ブラジル人にどのくらいの物を盗まれたことだろう。最初は新品のパーカーの万年筆、衣類、金や真珠のネックレス、日本製の子供のおもちゃ、食器、工具…。 最も打撃だったのは購入して間もない車や主人の仕事関係の道具類など、失ったものは数えきれない。今日まで実に多くの盗難に遭ってきて、次第に私は「物には執着をしてはいけない」とそのつど自分の胸に言い聞かせるようになった。 「いかに思い出深い品であっても、物には固執してはいけない」と必死で納得しようと努めて来た。それ以外に心を鎮める方法はなかった。 物や果物などを盗まれることは日常茶飯事で、最近では高齢になった私たち日本人夫婦を扱いやすいと思ったのか、数人の村のブラジル人による我が家の土地への不法侵入などが始まり、手を焼かされている。まるでそれは実行支配といった按配で、彼らは草刈り機をうならせ、他人の土地に家を建て堂々と暮らしている。 その生活音を聞かされつつ、私たち夫婦は生きている。もちろん弁護士も探し、それなりの対策はしているが、解決は困難を極めており、ただ無駄に時間だけが過ぎていく。 しかし、村の大半の人間は善良で、悪事を働くのはほんの一握りの人間だ。だが、アマゾンの奥地に生きる人々のある一部は、純朴さのお面をかぶった狡猾な生き物のようでもある。どちらかといえば、私にとってブラジル社会は都会の方が居心地良い。 おそらく異郷に暮らすベティさんも植物や鳥や空だけではなく、本当は異国人の夫や周りの人間関係にも上手に馴染めずに苦労したのであろう。おそらくその思いが心に積もり積もっていったのだ。異郷での暮らしには、やはり人種の壁が立ちはだかっている。 しかし、このような迷惑行為を突き付けられても、気持ちが負けては終わりなので、私はできるだけ普通の暮らしを心がけている。貧困も悪の根源の一つかもしれないと思う。