《寄稿》『ベティさんの庭』との共通点=アマゾンで生きる心構えについて=パラー州モンテ・アレグレ 大槻京子
アマゾンで〝故郷のやさしい緑〟を求めて彷徨う
アマゾンの田舎では、土地を持っている外国人には風当たりが非常に強い。 アマゾンの僻地で、文化の進歩も、医療やインフラの進歩もない地で生きる思いは、日本人にとっては並大抵ではない。実際こんな犯罪まがいの騒ぎに巻き込まれていると、昔のように日系組織がもっと強固な存在であったら、という思いも頭をよぎる。 現在でも当地には一応形式的な日系組織は継続されてはいるが、日系ブラジル人が中心メンバーで、本来の日伯文化協会の主旨は忘れられ、先祖供養すら行われてもいない。 そんな環境に生きているせいか、私もついこの本のベティさんのように、時々あてどもなく広い敷地を歩き廻っては心の安らぎが欲しくて、無いものねだりの柔らかな緑色の木々の葉、やさし気な鳥の声、淡い花の色などを探す。 けれど、中にはたまに似たような木もあるが、アマゾンには私の望郷をほぐしてくれる風景は少なく、望郷に泣くベティさんと同様の深い孤独感が私の暮らしにもある。けれど、私はそんな私に負けたくはない。それはあまりにも悲しすぎる。 私も常にこの本のベティさんのように、何故私はこんな所にいるのだろう、と感じている。インターネットの世界には全てがあるが、このちっぽけなアマゾンの村には何もない、せめて何か進歩の証が欲しい。 すでに森の様相を呈している我が家の広い庭の大樹たちは、惜しげもなくその葉をアマゾンの強い陽光にさらし、きらめく。それを見れば長閑と思う人もいるだろうが、大半の人にしてみれば、それはたまに見て楽しい風景であり、ここに住みつこうと願う人はまず皆無であろう。 現代を生きる人間はみな利便性を優先し、新しい味の食べ物に興奮し、見知らぬ者が交差する都会の賑わいに誘われていく。私には死ぬまでこんな環境が続くけれど、自分の心を支えるために、私なりの苦しみや辛さを文字にしていくことぐらいはできるかもしれない。
アマゾンを好きになれなかった自分を認めて
私は決してアマゾン移住に憧れ、それを志して来た人間ではなく、ただ青春のほんの一時期に後に夫となった人への憧れだけでこの地に渡って来た人間だ。確かに私にとってその後半世紀を過ごした南米アマゾンの暮らしには深い愛着もあり、ブラジル人にも馴染みを持つようになってはいる。だが、人間の心にはどうにもならないこともあり、アマゾンを好きになれなかった自分を認めざるを得ないと考えている。 私も日々この豊潤なアマゾンの重たい緑の中に、ベティさんのように、いつもどこかで故郷のやわらかいきれいな緑色を探し求めてきた。少しでも繊細な緑色に出会うと、とてもうれしくなる。マンゴーの大木も風にそよぐ椰子の葉も、それなりの美しさはあるけれど、私が心から見たいと思う緑ではないし、心に寄り添う緑の風景ではない。 おそらくそれは、私が神奈川との県境にある山梨の小さな田舎で育ち、身近にいつも美しい川の風景があったせいかもしれない。穏やかな川やそのせせらぎと光り、釣りをする父のそばで丸い石を探したこと、父が水切りを教えてくれたこと、そして見上げれば遠く遥かに馴染みある大きな見慣れた山が見えていた。 移住後、私の暮らす地域を流れているのはアマゾン河で、当地では支流も本流も川は泥を薄めたような茶色で、雄大なる大河を誇りつつも、優雅な姿と呼ぶにはほど遠い。 もしこの大河が美しい水色であったら、アマゾンのイメージは完全に覆るであろう。川の色は、やはり大河であっても水色であって欲しい。中流都市のサンターレンの港近くの支流は珍しく薄茶色ではなく、紺色に近い青みがかった色だが、きれいな青ではない。 考えてみれば、人間にとって日々暮らす自然環境は、想像以上に心情的に影響を及ぼすのではないか。辛いことがあっても、気に入った街並みや風景があれば、どんなに心が軽くなったことだろう。私が過去に眺めて来たアマゾンの町の風景は、干からびて何もない貧し気な店が並ぶだけの風景であった。買うものがない午後の市場で立ち尽くすこともあった。 我が家の家の前にこの地への入植祝いに知人からもらったジャックフルーツの大樹があるが、その葉は硬く落葉らしい風情もなく、堆肥になるのにも難しい。そして大木の幹にはうねりがあり、右に左に枝がうねっていく姿には、繊細さは微塵もなく、熱帯の酷地に耐え抜く力強さしか感じられない。時々私は熊手を使いながら、山のようなこの硬い枯れ葉と格闘をしている。 ベティさんが死ぬほど探し求めていたのは、故郷への郷愁を癒す風景であった。 自分の探し求める暮らしと現実との落差は、非情なものであったろう。このような悲哀は、実際に異国で経験した人でなければ分からないかもしれない。