「だめだ、だめだ」東京五輪後、心身の不調で引退…母姉の支えで苦悩乗り越え“第2章” 萩谷楓選手「私、走るの好き。次はマラソン」
ロードレース復帰戦
10月20日、佐久市―。 萩谷楓選手: 「皆さんおはようございます!佐久市出身の萩谷楓です。本日はよろしくお願いいたします」 大勢のランナーを前にあいさつ。萩谷選手は20日、佐久平ハーフマラソンのゲストランナーに招かれた。 ハーフマラソンは初挑戦。ロードレース復帰戦と位置づけ、調整してきた。 2500人の市民ランナーと走り出した萩谷選手。
本当に私、走るの好き
この日は強い風が吹いていましたが上位でレースを進めー。 歓声の中、フィニッシュ。 ゲストランナーのため参考記録だったが、目標の1時間15分を切った。 萩谷楓選手: 「(ロードレースに)帰ってきたという喜びと、楽しさと、うれしさとで、胸がいっぱいですね。本当に私、走るの好きやなって。楽しかったです」 その後はランナーたちと交流。 この日は、母の朱見さん、姉のくるみさんも走った。 萩谷楓さん: 「おかんラスト!」 「2時間切ったやん」 二人は萩谷選手の復帰を応援しようと出場。見事、完走した。
苦しい時もうれしい時も 母姉の支え
応援した祖母・浩子さんから月桂冠のプレゼントも! 母・朱見さん: 「(萩谷選手が)もう一度スタートを切るということだったので、それにふさわしく、みんなで出ようということで、私もエントリーしました。楽しく走れればいいです。それを応援したい」 姉・くるみさん: 「楓らしく走ってほしい」 萩谷楓選手: 「私自身のことを一番近くで支えてくれているのは、母親、姉ちゃん、うちの家族なので、苦しい時も、うれしい時も一番顔が浮かぶのはこの二人」 苦悩を経てたどり着いた新境地。 萩谷選手は新たな目標に向かってまた走り始めている。 萩谷楓選手: 「明確なことを言うと、4年後のロサンゼルスの五輪も視野に入れながら、復帰するなら中途半端なことはしないで、やるからには世界目指してやりたいです。マラソンやりたいです。ずっとマラソン走りたいので。そこでマラソン代表になれたらな。強くなるために何をしたらいいのかしっかり考えられる選手になりたいなと思いますね」 (長野放送)
長野放送