「だめだ、だめだ」東京五輪後、心身の不調で引退…母姉の支えで苦悩乗り越え“第2章” 萩谷楓選手「私、走るの好き。次はマラソン」
東京五輪後、心身の不調で引退
次はパリで。多くの人がそう期待した。 しかし、2023年、突然の引退表明。 萩谷楓選手: 「足が痛いわけでもなく、継続して練習しているのに、なぜかレースでは結果が出ないという1年だったので、常に『なんでやろ、なんでやろ』という感じで、苦しい1年ではありましたね」 オリンピック以降、周囲の注目によって練習のリズムが崩れ、スランプに。さらに肺気胸を発症。焦りや落胆で精神的に疲弊してしまい、病気が治ったころには走りへのモチベーションが残っていなかった。 萩谷楓選手: 「部屋で一人閉じこもるような生活で、余計気持ち的にも『だめだ、だめだ』という感じになっていた。肺気胸になって、それがきっかけで競技からは離れたんですけど、それはただのきっかけで、それ以前に気持ち的に崩れていた部分もあったので、いったん競技から離れました」
知人に誘われて出た大会が転機に
ところが、2023年7月、知人に誘われて出たランニング大会が転機に。軽い気持ちで出場し10キロを走ったがー。 萩谷楓選手: 「『まあ別に走れるやろ』みたいな、その時は肺気胸も治っていたし。もう全然走れなくて、しんどくてしんどくて、市民ランナーの人に置いていかれる自分が悔しくて、次の日から朝練を始めました(笑)」 引退表明から3カ月、萩谷さんはひそかに練習を再開、競技に復帰した。 現在はどこにも所属せず、関西を拠点に元の走力を取り戻している最中だ。 トレイルランニングにも挑戦している。 以前と大きく変わった点がある。それは走りに取り組む「姿勢」。
自分の体とよく対話するように
この日はハーフマラソンに向けての練習。 萩谷楓選手: 「今は全部自分で1カ月の練習メニュー組んで、考えてやっていますね」 以前は、与えられた練習メニューをこなすだけだったが、今は、自分でメニューを組んでいる。 寮生活の中、当たり前のように提供されていた食事も、今は自分で作るように。 萩谷楓選手: 「自分の体とよく対話するようにはなった。自分でできることは自分でやるというのがアスリートのあるべき姿かなと思うので、知識として持っておくことにはいいかな」