「1974年の池袋」で開催されていた伝説のフォークコンサートがついに復活…50年ぶりに「込めた思い」
東京・池袋にある小劇場シアターグリーンで、2024年の12月24日からの7日間、『HOBO’S CONCERTS 2024』が開催される。今から50年前の1974年、同じ池袋のシアターグリーンでは毎月、1週間連続でコンサートが開かれ、そこに数多くのミュージシャンが参加していた。今回のイベントの発案者であり、当時は劇場の運営者として携わっていた関敬、そして、出演アーティストであり、今回のプロジェクトに初期から関わっている中川五郎に、「50年目のホーボーズ・コンサート」が実現した経緯を、当時の想い出も交えて語っていただいた。 【写真】「1974年の池袋」で開催されていた伝説のフォークコンサートが復活! 進行・文:真鍋新一/写真:Ryoma Shomura コンサート詳細はこちら
レコードに記録された1974年の伝説的な瞬間
関:話すと長くなってしまうから(笑)、かいつまんでお話ししますね。きっかけは、(テーブルの上にあるレコードを指して)まさにこのレコードなんですよ。一時期は頭の中からすっかり消えてしまっていたのですが、歳をとってから頭の片隅に浮かんでくるようになりまして、それで当時以来、何十年ぶりに聴いてみたんです。 1974年のコンサートはキングレコードの宣伝スタッフであった大蔵博(火呂死/のちにヨロシタミュージック、MIDI Inc.を設立)が中心となって企画・運営された。「こちらが感じるものがあれば、レコードを出しているいないにかかわらず、又、ベルウッドレコードに所属しているかどうかにかかわらず、出演してもらえるように交渉しました」(レコードの解説より抜粋)という方針でステージの様子はすべて録音されたとされ、1976年には抜粋された音源が7枚にもわたるライブアルバムとしてリリース。『郡山ワンステップ・フェスティバル』と並んで、当時の音楽シーンを記録した貴重なドキュメントとなっている。 関:前の年(1973年)の10月にまず『ディランズ・チルドレン・コンサート』という1週間連続のイベントがあって、大蔵さんからそれと同じようなことを1年間通してやりたい、と。要は「1年先に劇場を押さえとくから安く使わせてくれよ」という話だと思うんですけど(笑)、もちろんありがたい話ですし、僕自身は演劇中心だったから、ジャンルの違う人たちとお仕事ができるのはすごく嬉しかった。 中川:いま振り返ると、1974年という時期自体に特別な想い出がありますね。1970年代に入るとフォークはラブソングとか、青春とか、季節とか、故郷とか、そういうフワッとしたものを歌うものに変わってきた。60年代に歌っていたようなメッセージ・ソングを歌い続けていた僕は「うん、どうしようか」って。すごく難しい、模索の時期だったんですよ。そんな時、このコンサートに呼んでいただいて、高田渡さんやいとうたかおさん、同じ時代を歌ってきた人たちとまた同じ場所で歌うことができた。その機会は、自分が次の段階へ行くためにすごく大きな意味を持っていたと思うんです。