「1974年の池袋」で開催されていた伝説のフォークコンサートがついに復活…50年ぶりに「込めた思い」
歌う人も聴く人も、同じ目線で参加できるコンサート
当時、中川がステージで歌い、レコード化もされた楽曲に「飛行機事故で死にたくない」がある。当時、全国を飛行機で飛び回りながら忙しくライブ活動に励んでいた共演者の高田渡へ捧げた歌で、「向こう行っててください」(中川)、「全部聴いてるからな!」(高田)という微笑ましいやりとりもレコードに記録されている。 『1974 HOBO'S CONCERTS』を聴く 中川:まさにそういう、みんながそばにいる前で、その日に一緒に出る人も舞台袖や客席で聴いてくれるみたいな感じ。歌う人も聴く人も、ほとんど同じ目線で等しく参加しているような雰囲気でした。いわゆる舞台があって客席があるっていう、普通のシアターではなかったですよね? 関:舞台の高さが15センチくらいだったかな。すごく低い。もともとそういう作りだったんですよ。劇場のフロア全体の1/3くらいが舞台だとすると、15~20センチくらい下がった客席にみんなで座布団を敷いて座り込む。そんな空間が、鉄骨モルタルのアパートの1階にあったわけです。 立地的には池袋駅前とはいえ、少し奥まった場所にあるため一般の住宅も隣接していた。当初はアコースティックだけという話が、なし崩し的にエレキ編成のグループも出演するようになり、騒音のクレーム対応にはほぼ1年中追われていたという。 関:僕は劇場側の人間として一歩引いて観ていたから、苦情の対応も大変だったし、あの時誰がどうだったかということはほとんど憶えていないんです。でも、ひとつ憶えていることがあって、ある時、アンプが飛んだんですよ。劇場側の問題か、PAさんの問題か、僕の立場だとそういうことが気になるんだね(笑)。だからすごく焦った。するとバンドの人が生ギターを弾いて英語の歌を歌い出したんです。知らない歌だったけど、それがすごくうまかった。聴き入ってちゃいけないんだけど、でももう少し見ていたいっていう。いま考えると、シュガー・ベイブの山下達郎でした。 この時山下が歌ったのは、ビーチ・ボーイズのカヴァーで「Your Summer Dream」。当時のステージを観ていた方の回想がインターネット上にあり、思いのほかあっさり判明した。アーティストにとっても、観客にとっても想い出深いコンサートが、今回どのように再始動することになったのか。当時のレコードを聴き返して蘇った記憶が、偶然の出会い、新たな縁につながっていった。