矢作芳人調教師との質疑応答を全文掲載 〝世界のYAHAGⅠ〟が未来へ提言【アジア競馬会議】
[第40回アジア競馬会議(ARC)札幌大会(主催:アジア競馬連盟=8月29日・札幌コンベンションセンター)] 8月に開催されたアジア競馬会議には、各国からさまざまな立場のパネリストが参加した。日本から参加したパネリストの中でも注目を浴びたのが矢作芳人調教師だ。 父が調教師として在籍した大井競馬場で生まれ育ち、屈指の進学校として知られる開成中・高を卒業。競馬界に身を投じることを決意すると、オーストラリアでの修業を経てJRAに入り、持ち乗り調教助手として実績を残した。調教師免許を取得して厩舎を開業してからは国内外で数々のビッグレースを制覇。同時に、ファンあっての競馬を意識して早くから積極的な情報発信に努めてきたことでも知られる。 そんな矢作師がARCのパネルディスカッション「日本のホースマン」に登場。多岐にわたったトークを抜粋してお届けする。 ――日本馬が強くなった 矢作調教師 サンド(砂)でありウッドであり、恵まれた施設を持っていて、使用できることをJRAに感謝しています。近年の血統的な向上と、何よりもホースマンの技術向上で、日本の馬が強くなったと身をもって感じます。自分はラッキーだった。世界でいろいろなレースを勝たせてもらいました。日本馬はうちの馬に限らず、全体のレベルが上がっている、と海外に行くたびに思います。 ――サンデーサイレンスが種牡馬として導入されて30年 矢作 サンデーサイレンス以前と以後に分けてもいいと言えるくらい大きな変化があった。サンデーサイレンスの血統に関しては、なかなか気性的に難しい馬が多かったので、そういう馬を御して、調教、競走をしていく中で日本のホースマンの技術が上がっていったことも否めない。また、サンデーサイレンスあるいはその系統の種牡馬につけるため、いろいろな牧場さんが多くの投資をして、良質な繁殖牝馬が多く入ってきたことが一番日本の競馬に関して変わったことだと思います。 ――馬を上手に育てるため、トレーニングセンターの設備や人々のマインドは 矢作 例を挙げると私の厩舎では、初期の頃はほとんど坂路調教が中心でした。故障率が非常に低かったからです。ただ、時とともに変化してきて、今はウッドチップ、芝、ダートとあらゆるコースで調教を行っています。理由は二点ありまして、まず一点は海外に遠征したときに必ずしも坂路コースがない、ウッドチップコースがない。いろいろな環境で調教を積むことが大事という考え。それと、やはり年々調教技術、また馬に関する運動生理学、スポーツ医学が進歩を遂げているので、その進歩に遅れないことが重要だと思って、いろいろと調教を研究しています。あまり指示をしない調教師なんで(笑)、みんなアテにしないでやってくれていることが(いいんでしょう)。人間を伸ばすのも馬を伸ばすのも両方ですから。 ――最近の馬は昔とどこが違う 矢作 スマートになりましたね、いろいろな意味で。調教であり競走に関しても、以前と比べると優等生というか、競走で正しく能力を発揮できる馬が増えたんだと思います。 ――馬産の中心である北海道の気候や地形 矢作 やはり日本という国で、サラブレッドの生産には広い土地が絶対的な条件。なかなか厳しいものがある。それに北海道の冬の寒さ、雪などいろいろと不利な環境がある中で、日本の生産者は日本人ならではの創意工夫によって、頑張っていただいていることに感謝しています。