子どものための''不動産屋''? 家と土地からアプローチする福祉の形 #豊かな未来を創る人
「不動産×子ども」にたどり着くまで
── 子どもやシングルマザーをご自身の取り組みのテーマの一つにした原点はどこにあると思いますか。 やっぱり私が育ってきた家庭環境は大きいと思います。私の両親は離婚こそしていないものの喧嘩が多かったので、家庭の雰囲気が良くなかったんですね。そんな家庭環境の中で私は3人きょうだいの末っ子。他のきょうだいよりも手がかかり、構ってもらえていないという気持ちを抱いていました。母親とのコミュニケーションもうまくいかず、10代の頃はギャルサークルやキャバクラなど夜の世界で過ごす時期もありました。家庭環境が円満だったら、現在の仕事には行きつかなかったと思いますね。 ── 夜の世界で過ごす経験をしながらも、その後不動産で働くこととなったきっかけは何だったのでしょうか。 家庭環境の影響で、19歳の時に摂食障害となり、まともに食事もできなくなったんです。全ての関係を絶ち切って家に引きこもり、死にたいと思うようになりました。でも、そんな勇気もなかったので結局働くことにしたのですが、当時の携帯屋での仕事がだんだん楽しくなってきたんですよね。その後、ある程度ちゃんと自分で稼げるようになったので実家から出ようと、家を借りることに。そこで出会ったのが不動産という仕事で、「楽しそう!」と思ったのがきっかけでした。 ── そこから不動産×子どもにいきついたのはどういう経緯だったのでしょうか? 不動産屋で働いていた時は、シングルマザーの「借りたい」という相談を断る側だったんですよね。賃貸業には2つの立場のお客さんが居て、家を借りたい人と貸す人である大家さんです。その上で、大家さんがだめだと言ったら断ることしかできないんです。管理物件ではない物件に200~300件電話で問い合わせをしても、パートや無職で子ども3人、なんていうご家庭だとほぼすべてに断られて。実際に会って、すごく頑張っているお母さんだから応援したいと思っても貸すことができないという状況に違和感を抱えていました。 思いが強くなるきっかけとなったのが2010年の大阪2児餓死事件でした。食べ物が余ったら捨ててしまうような国で、3歳と1歳の子が餓死してしまったことはかなり大きなショックでした。そこで、子どもが幸せであるためにお母さんの安定した暮らしが必要だと考えるようになり、私が好きな「不動産」と「子ども」をかけ合わせた仕事をしたいと考えるようになったんです。 その後、子どもの貧困についての勉強会を開いたり、保育園の物件探しを手伝ったりするようになった中で、カンボジアでの活動に参加する機会があって。そこで、女性起業家の支援をされている経営者に出会ったんです。 その人に事業プランを相談をしていた時、「やりたいことと社会のためになることをかけ合わせたらいい」という言葉がありました。私の中で浮かんだキーワードは「シングルマザー」と「児童養護施設」だったんですね。当時、児童養護施設の子供は全国に3万人以下なのに対して、シングルマザーは約120万世帯。ビジネスとして取り組むのであれば、母数の多い分野にしようと一緒に練り上げたのが、シニアが管理人としてサポートするシングルマザーシェアハウスという事業でした。