足立区の柳原稲荷神社と昭和初期に築造された柳原富士へ【プロハイカー斉藤正史のTOKYO山頂ガイド】
東京23区内、特に山手線の内側はビル街や飲食店街、住宅街ばかり。そう思っている人が多いかもしれません。でも、目を凝らせば東京都心にも「山」はあります。そんな東京の山の世界を、日本で唯一のプロハイカーである斉藤正史さんが案内します。 【写真9枚】登山口(最寄り駅)は、東京メトロ日比谷線、千代田線の北千住駅東口。昔ながらの構えの「大和湯」、柳原稲荷神社など登山道を写真で見る FILE.92は、足立区の柳原富士です。
第92座目「柳原富士」
◆今回の登山口は、東京メトロ日比谷線、千代田線の北千住駅です 今回の登山口(最寄り駅)は、東京メトロ日比谷線、千代田線の北千住駅。前々回、前回と駅の西側からの山行でしたが、今回は東口から出発して「柳原富士」を目指します。 東口に出ると、駅の西側とは全く雰囲気が違う町並みです。それもそのはず、北千住駅東口周辺地区では、日本たばこ産業株式会社社宅跡地の土地利用を契機として、2012年(平成24年)に東京電機大学が進出。交通広場の整備・共用開始など、まちを取り巻く状況が大きく変化したそうです。 東口を離れ、その名も学園通りを進んでいきます。道幅も広く、きれいな道です。色々なお店が軒を連ねています。 ◆地元で長く親しまれているお店が続々 特に気なったお店がありました。その名も「喫茶とスナック バナナ」。まず外観がびっくり、緑と黄色のストライプです。そりゃ覗きますよね。喫茶と書いてあるのですが、オープンは15:00~1:00です。BARみたいなイメージでしょうか?店頭に貼ってあったメニューを見ると、個性的で結構気になります。 あとで調べてみたら、北千住西口にある「Sd coffee(エスディコーヒー)」の系列店だそうです。「Sd coffee」も負けず劣らず個性的なお店で、キャップやTシャツのオリジナル商品なども売っています。機会があれば、どちらのお店もお邪魔してみたいです。 そこから商店街をまっすぐ抜け、南へ西へとちゃっちゃと進んでいきます。どんどん住宅街に入っていく感じです。すると、住宅街にパン屋さん発見!今日は月曜で定休日なのか、シャッターが閉まっていました。 この地で約60年営業しているという老舗パン屋さん「パン工房 かわぐち」。看板には朝7時からとなっていますが、実際は6時から営業しているという、早朝営業の貴重なパン屋さんです。昔懐かしいパンが豊富に並べられているそうで、100円台のパンが中心のリーズナブルなラインナップ。小さいころに食べていた町のパン屋さんのパンといった感じですね。閉まっていて残念。 さらに進んでいくと、「大和湯」という銭湯がありました。 学生の頃は文京区の学生寮に住んでいたのですが、お風呂がお休みの時は近所の銭湯に足を運んでいました。ちょっと外観が似ています。それもそのはず、「宮造り銭湯」と呼ばれていて、お寺や神社のような「宮造り」の銭湯は、東京やその周辺のみで多く見られるそうです。思い返してみると、僕が暮らしている山形でも見たことがありませんし、地方にはほとんどないそうです。 宮造り銭湯が始まったきっかけは、1923年の関東大震災(大正12年)。建物が焼失した墨田区で、宮大工の技術を持っていた棟梁達が、たくさんのお客さんに来てもらおうとその技術を生かした銭湯を建築したのが始まりだとか。 言われてみると東京らしい、下町らしい佇まいかもしれません。大和湯さんは、2013年に改装したそうで、旅館のような内装に、旅行気分が味わえると好評なんだそうです。 そして、大和湯さんのすじ向かいに、また気になるお店を見つけました。「稲荷ずし 松むら 千住店」というお店です。 実は、大和湯さんと松むら千住店さんのある通りは、柳原商栄会という商店街で、飲食店や肉屋、電気屋など10数件の商店が点在しています。「稲荷ずし 松むら 千住店」は、浅草の「稲荷寿司 まつむら 」初ののれん分けとして、昭和39年に北千住の柳原に「稲荷ずし松むら千住店」を開いたそうです。落語家の立川談志さんも愛した店で有名です。 持ち帰り専用の店ですが、評判を聞いて遠方から買いに来るお客さんも少なくないそうです。なんとなく入りずらい雰囲気で通り過ぎましたが、口コミを見ると気さくな店主さんが優しく声をかけてくれるそうです。立ち寄れば良かったな…。「稲荷寿司松むら 千住店」を過ぎると、今回の目的地は目と鼻の先です。 ◆目的地の稲荷神社と富士塚に到着 ・柳原稲荷神社 柳原稲荷神社は、葛飾郡柳原村の鎮守です。創建年代は不詳ですが、社伝によれば1606年(慶長11年)に、この地を訪れた徳川家康の命により、江戸城の鬼門鎮護として創建されたのだとか。そのため、今も社殿は鬼門(北東)を向いて建っているそうです。 ・柳原富士 1920年(大正9年)頃、当時の柳原村を中心に富士講が結成され、富士登山が行われたそうです。そして、1933年(昭和8年)に富士北麓から貨車で運搬した溶岩や丸石を配して高さ2mの富士塚を築造。 浅間神社が勧請されて、富士山の神様である木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)をおまつりしたそうです(足立区登録有形民俗文化財)。ただし、現在、富士塚は登れませんし、富士塚の前の門も閉ざされています。ただ、門の上から山頂に真っ直ぐ伸びる石段の参道などを眺めることが出来ます。 足立区屈指の繁華街、北千住だけあって、気になるお店が次々と現れる山行となりました。こじんまりとした商店街を歩き、神社へと続く道のりを歩いていると、その昔、柳原商栄会も柳原富士も多くの人でにぎわっていたであろう光景が浮かんできました。 次回は足立区の宮城氷川神社の富士塚です。 私が書きました! プロハイカー 斉藤正史 2012年より日本で唯一のプロハイカーとして活動。トレイルカルチャー普及のため、海外のトレイルを歩き、アウトドア媒体を中心に寄稿する傍ら、地元山形にトレイルのコースを作る活動「山形ロングトレイル(YLT)」を行なう。スルーハイク(単年で一気にルートを歩く方法)にこだわり、スルーハイクしたトレイルだけで22.000km(地球半周以上)を超える。最新情報はブログを。
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