親に大事な話をするのは「おめかしして外出したときがいい」注目の人を動かす手法「ナッジ」の介護シーンでの活用方法を専門家“ちくりん先生”が解説
介護シーンでナッジを活用
「私はこれまで祖母と祖父、父の介護を経験しました。最初に祖母の介護を行ったのは25年ほど前で、その時は行動経済学も認知バイアスもナッジについても知りませんでした。 祖母は、重度の糖尿病でほとんど目が見えなくなっているのに病院に行こうとしませんでした。私は、祖母が心を改めるには厳しくするのが一番だと考え、夜遅い時間に祖母宅に行って『明日にでも病院に行かないとだめだ!』と、厳しい口調で言いました。 祖母が病院に行かないと言ったら、扉をバタン!と閉めて出て行きました。私は熱い想いを持って、祖母を説得していたのですが、祖母は心を閉ざし、通院を頑なに拒否するようになりました。そして、ようやく通院を開始した時には、もはや手遅れでした。 その後、私はアメリカの大学院で行動経済学に出会い、認知バイアスのことを知りました。 たとえば高齢者は、『現状維持バイアス(変化を嫌う心理特性)』が強くなるため、いきなり新しいことを提案されると直感的に抵抗したくなり、また『現在バイアス(目の前の面倒を後回しにする心理特性)』も強く、将来の健康のためと言われても響きにくいことがわかっています。 これらの認知バイアスの傾向を踏まえると、祖母が私の提案を拒絶したのは、『病院が嫌』というより『現状維持バイアスや現在バイアスを刺激するような言われ方をしたから』のようです。私に必要だったのは『熱い想い』ではなく、『エビデンスに基づく方法』、つまりナッジだったのです」 竹林さんは、「もっと早くナッジを知っていれば、祖母を救えたのではないか」と、やるせない感情がこみ上げてきたという。 「この経験から、行動経済学を研究してナッジを普及させていこう、と誓いました。同じような悲劇はもう誰にも経験してほしくないのです」
健康行動を先送りにしてしまう理由
「多くの人は、健康の大切さをわかっているのにもかかわらず、なかなか健康行動をしません。がん検診を例に考えてみましょう。平成16~17年は乳がん検診の有用性の認知度は55%で、乳がん検診受診率は20%でした。その後、啓発を行った結果、平成19年には認知度は70%に上がりました。 しかし、乳がん検診受診率は20%のままでした。政府が未受診理由を調べたところ、1位は『たまたま受けていない』でした。 『検診を受ければ命が助かる』と頭でわかっていても、現在バイアスが強いと『いつか受けよう(でも今は面倒なので、先送りしよう)』となってしまいます。 そして、がんになってしまったときには、『検診を受けておけばよかった』と後悔することがわかっている以上、早い段階でナッジを用いて行動促進することは、本人のためにもなります。では、どうすればよいのでしょうか? 私が祖母に受診について話したのは、夜遅い時間帯でした。現状維持バイアスは、疲れがたまるほど強まり、さらに現在バイアスは金銭的に困窮していると強くなる傾向が見られます。 私も祖母の年金受給日のランチ後に話をすれば受け入れられたのかもしれません。このように認知バイアスに沿ったタイミングで働きかける方法を『タイムリーナッジ』と呼びます。 科学の進歩によって、さまざまな認知バイアスのパターンとそれに応じたナッジがわかってきました。使わないのはもったいないと思いませんか?」