「奇跡だ」無罪の医師が巣鴨プリズンで描いたスケッチがアメリカから返還された 76年越しに福岡市の遺族の元へ B29搭乗員を実験手術「九大生体解剖事件」で訴追
▽「やっと届けられた」 福岡市に住む真武さんの三男・清志さん(76)と長女・ナナさん(74)は、スケッチを受け取り、いとおしそうに見つめた。妻子とみられる2人が描かれた絵について、ナナさんは「いきなり捕まって連れて行かれたなら、家族がどう暮らしているか気になって仕方がなかっただろう。切なかったはず」と想像する。海を越え、何人も介してスケッチが戻ってきたことは「奇跡的」だと繰り返した。「(父は当時)つらい生活だったと思うが、深刻な様子の絵だけでなく、楽しみを見つけて過ごしていたと分かって心がいっぱい。電話や通信手段がない中で、絵だけが家族に残せるものだったのではないか」と思いをはせた。 清志さんは、金網が張られた部屋の窓から身を乗り出して日本晴れを見ようとしている絵や、食事でご飯を多く盛り、口を開けて笑う男性の絵に目を留め、「ユーモアがあってちゃめっ気たっぷりの性格が出ている。おやじらしい」と懐かしみ、「軽いタッチが父のもので間違いない」と話した。
ピーターソンさんも米国からオンラインで返還に立ち会った。「父も、やっと真武さんの家族に絵を届けられて喜んだだろう。父から譲り受けたこの絵は、父だけでなく私たち家族もとても大切にしていた。皆さんとお父さんとの思い出が平和と愛であふれていることを願っている」と語りかけた。 ▽無罪、その後 清志さんやナナさんによると、真武さんは巣鴨プリズンに収監中にリウマチを患い、指先がうまく動かなくなった。それでも、無罪判決を受けて福岡市内の家に戻った後は、町の医者として地域医療を支えたという。近所の人々との結びつきも強く、夫婦げんかの仲裁に駆けつけたこともあった。家庭内では食事中の行儀が悪いと火箸を飛ばして厳しくしかる一面もあったが、家族全員で食卓を囲むことも多く「わいわいした時間だった」とナナさんは振り返る。 ただ、2人とも今回のスケッチ返還の話があるまで、父が収監中にスケッチを描いていたことは知らなかった。父も母も、巣鴨プリズンでのことはほとんど話さなかった。その一方で、清志さんは、大学で馬術部だったという真武さんが描いた馬の絵を褒めると、「医者にならなかったら、絵描きになっていた」と何度も話していたことを覚えている。ナナさんも小学校低学年の頃に自画像を描いてもらった。