「奇跡だ」無罪の医師が巣鴨プリズンで描いたスケッチがアメリカから返還された 76年越しに福岡市の遺族の元へ B29搭乗員を実験手術「九大生体解剖事件」で訴追
太平洋戦争末期の1945年、九州帝国大学(現在の九州大学)の医学部で、日本軍にとらわれた米軍爆撃機B29の搭乗員に対し、治療を目的としない「実験手術」が行われた。戦争の狂気がもたらした「九大生体解剖事件」だ。摘出された捕虜の肝臓を食べたとする罪に問われ、後に無罪となった医師が、東京の巣鴨プリズン収監中に描いたスケッチ8枚が、このほど米国で見つかった。 【写真】A級戦犯はなぜ太平洋に散骨されたのか 75年前の極秘文書発見 アメリカ軍は「超国家主義」の復活を恐れていた
「正義はどこに?」 英語でそう書き込まれた絵には、うなだれた男性が表現され、理不尽な現実に絶望する様子が伝わる。元看守の米兵が米国で保管していたが、76年の時を経て、福岡市の家族の元に返ってきた。(共同通信=滝田汐里) ▽無念描いた8枚のスケッチ スケッチを描いたのは、福岡の医師、真武七郎さん=1969年に61歳で死去=。8枚のスケッチは黄ばみが目立ち、A4判ほどの大きさだ。窓の近くで男性がうつむきがちに座る絵には、1947年10月9日の日付と「S・M」のイニシャルがあり、「BY WHOM・・・THIS RESULT(この結果は誰によるのか)」とつづられている。 他にも、巣鴨プリズンでの労働や食事、散歩の場面が表現され、故郷の妻が生まれたばかりの息子を抱く夢を見て恋しがっている絵もあった。膝立ちの男性が机に顔を伏した絵には、「FOR WHAT…THIS MISFORTUNE(この不運は何のために)」とあった。
▽妊娠中の妻や幼い息子、気がかり 真武さんは1908年、福岡県宗像市で江戸時代から続く医師の家系に生まれた。九州医学専門学校(現在の久留米大学医学部)を卒業後、軍医として福岡市にあった偕行社病院で院長を務め、大分県の陸軍病院に転勤した。 九大生体解剖事件では、米兵捕虜8人から肺や肝臓を摘出し、輸血血液の代わりに海水を用いるなどの手術が行われ、全員が死亡した。戦後、九州大や旧日本陸軍の関係者計30人が、米軍がBC級戦犯を裁いた「横浜裁判」にかけられた。作家の故遠藤周作さんの小説「海と毒薬」の題材にもなった。 真武さんは連合国軍総司令部(GHQ)から過酷な取り調べを受け、虚偽の自白を強要されて巣鴨プリズンに収監された。自白に至ったのは、故郷に残した妊娠中の妻や幼い息子が気がかりだったことが背景だとされる。 ▽家族を見殺しにするのはしのびえず 横浜裁判の記録や当時の様子は、医学生として九大生体解剖事件に立ち会い、事件を後世に伝える活動をしていた東野利夫医師=2021年に95歳で死去=の著書「汚名『九大生体解剖事件』の真相」に詳しい。同書などによると、生体解剖手術で摘出した米兵の肝臓を持ち出したのは、軍医見習士官だった。1945年6月ごろに偕行社病院の食堂で、立ち寄った真武元院長を歓迎する昼食会が開かれた際、真武さんを含む医師ら5人がその肝臓を「食べた」とする疑いがかけられた。