『チャレンジャーズ』若さという呪縛、人生の短さからの爽快な離陸
『チャレンジャーズ』のあらすじ 人気と実力を兼ね備えたタシ・ダンカン(ゼンデイヤ)は、絶対的な存在としてテニス界で大きな注目を集めていた。しかし、試合中の大怪我で、突如、選手生命が断たれてしまう――。選手としての未来を失ってしまったタシだったが、新たな生きがいを見出す。それは、彼女に惹かれ、虜となった親友同士の2人の男子テニスプレイヤーを愛すること。だが、その“愛”は、10年以上の長きに渡る彼女にとっての新たな<ゲーム>だった。はたして、彼女がたどり着く結末とは――。
ゼンデイヤ=新時代のアイコン
俯瞰で捉えられたテニスコート。アート・ドナルドソン(マイク・フェイスト)とパトリック・ズワイグ(ジョシュ・オコナー)による白熱のラリー。スタンドの観客はボールの行方を追って右に左に首を振る。しかしスタンドの観客は知らない。この試合の真の主役がスタンド席中央で戦況を見守るタシ・ダンカン(ゼンデイヤ)であることを。真っ直ぐにタシの方へ進んでいくカメラワークは、彼女がこの映画の中心にいることを表わしている。アートとパトリックはラリーが止まる度に、タシがどんな表情をしているか気にしている。タシ=ゼンデイヤという圧倒的なカリスマ。二人にとってタシという女性は「テニスを超えた」絶対的な“指導者”なのだ。 世界的なテニスプレイヤーになることが約束されていた十代の頃のタシ。なによりその圧倒的なスター性は、アディダスをはじめとするスポンサーが広告塔としてサポートするほどだった。コートに登場するだけでオーディエンスの注目の的になるタシ(トレント・レズナー&アッティカス・ロスによる傑作ダンスミュージック「Yeah×10」が、タシのテーマ曲=入場曲として華やかに響き渡る!)。彼女のカリスマ性はそれまでのすべての景色を変えてしまう。テニスプレイヤーとしてのカリスマ性は元より、コートの脇で行う準備運動やパーティーでセクシーに踊る姿、その筋肉の動きさえもがエレガントだ。これほど現在のゼンデイヤにふさわしい役柄はない。そしてルカ・グァダニーノ監督は、身体の若さと欲望を捉えることにこだわってきた映画作家でもある。これは幸福な出会いなのだ。 圧倒的なゼンデイヤ。『チャレンジャーズ』(24)はゼンデイヤの“アイドル映画”としても楽しめる作品だが、そもそもゼンデイヤ自体が極めて新しい“時代のアイコン”であることを改めて思い知らされる。彼女のスターとしての輝きに思わずひれ伏してしまうと言った方がよいだろうか。そう、劇中のアートやパトリックと同じように。劇中でタシが着ているロエベのクリエイティブディレクター、ジョナサン・アンダーソンのデザインによる「I TOLD YA(言ったでしょ)」とプリントされたTシャツは、大胆な彼女によく似合っている。 『デューン 砂の惑星PART2』(24)がチャニ=ゼンデイヤの視線で描かれていた記憶はまだ新しい。現在のゼンデイヤには映画の運命を任せたくなるほどのスターの輝きがある。そして本作はゼンデイヤ自身がプロデューサーを担う作品でもある。