新元号「令和」 典拠となった『万葉集』は反文明の歌集だった
4月1日、平成に代わる新しい元号が「令和」と発表されました。典拠は奈良時代に成立した『万葉集』。その中の、大伴旅人がつくったとされる梅の花の歌の序文「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ…」からとられました。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、元号を中国の古典からではなく、初めて国書から選んだことについて「文化的意味の重さを認識することが必要だ」と指摘します。長い間「文学の中の建築」を研究し、その著書の中で万葉の時代と建築の相互関係についても多く言及してきた若山氏が、独自の「文化力学」的な視点から論じます。
宣長と晋三の「やまとごころ」
次の元号が「令和」に決まり、いろいろと報道されている。 これまでは中国の古典からとっていたが、今回は『万葉集』からだという。日本人の「からごころ」(何事も中国を基準とする考え方)を批判した本居宣長が喜ぶような気もするし、政治的に使われて苦い顔をするような気もする。「やまとごころ」を大切にする安倍政権らしい選択といえばいえる。*1 とはいえ、古来より連綿と続いてきたことに価値がある天皇制度の性質を一変させることになる。中国を好きとか嫌いとかいうことではなく日本文化そのものの問題だ。そのことの文化的意味の重さを認識することは必要だろう。さすがに文学や史学の専門家たちは責任を感じているようだが、政府関係者と有識者会議のメンバーたちはどうだろうか。
無文字文化の魂の叫び
典拠となった「令月にして…風和ぎ」は、首相がいうように月と風の美しいイメージが浮かぶ。さすがにいいところからとったと思う。そして『万葉集』がブームになっているという。「文学の中の建築記述の研究」を万葉から始めた僕としては、その研究過程で発見したことがその後の文化論の基礎となってもいるので、この歌集には強い思い入れがある。 驚くべき歌集だ。 国家創設期に、天皇から貴族、名もない農民や防人(兵士)の歌までを大量(4516首、数え方によって異なる)に集めた歌集は他国に例がない。その構成自体にあたかも身分制度を否定するような意味合いを感じる。短歌ばかりではなく、一編の物語のように長い歌もある。 また『万葉集』は、『古事記』や『日本書紀』とは違って、漢字を音の記号として、すなわち一種のアルファベットとして使うという、一見子供じみた文学だ。それはつまり中国からの文字がもつ「意味の力」を払拭することによって「やまとうた」の純粋性を守ろうとしたのであろう。文字なき時代の日本文化が、文字によって乱されていくことへの切実な危惧が感じられる。いわば万葉はこの列島の無文字文化の魂の叫びなのだ。 すでに世界最古の本格的小説として評価が定着している『源氏物語』と比べ外国にはあまり知られていないが、日本国が誇るべきすばらしい文化遺産であることは間違いない。