娘と二人暮らしの父は末期の大腸がん 「聞きたくない」余命伝えなければならないワケ…同行取材で見た緩和医療の最前線
杏クリニックの院長・鬼澤信之氏に同行し在宅医療の最前線を取材
QOL(クオリティー・オブ・ライフ)という価値観がここ数年で注目されている。読んで字のごとく人生や生活の質を表す言葉だ。医療の現場ではがん患者などが、質の高い療養生活を送るため緩和ケアが行われている。ENCOUNTでは埼玉県・西部地域を中心に在宅医療を展開している医療法人あんず会の理事長で杏クリニックの院長・鬼澤信之氏に同行し、仕事への思いを聞いた。前編。(取材・文=島田将斗) 【写真】「大事になってくるのは会話」 鬼澤氏が患者と会話をする実際の光景 在宅緩和ケアとはひとりの医師が往診するわけではなく、ケアマネジャーや理学療法士、看護師など複数の職種がチームを組んで患者を支える。同クリニックは600人ほどの患者を抱えており、1日に平均40~50人の往診をしている。24時間365日、対応できる環境を整えているため大忙しだ。院長の鬼澤氏も常に現場に出ているため、インタビューは移動中の車内で行われた。 緩和ケアは終末期だけのものではない。実際の患者を訪問する前にこう説明する。 「緩和ケア=終末期医療ではないんですよ。痛みや息苦しさなどの肉体的苦痛、『なぜ私がこんな目にあうのか』という精神的な苦痛、『家族はどうなるのか』という社会的な苦痛を緩和させるのが緩和医療って言われています。終末期に抱える悩みが多いので終末期医療に近いのですが、緩和医療って抗がん剤治療をやっているときから始めたりすることもあるのでイコールではないんです」 この日、最初に訪れたのは緩和ケアに10年以上も携わっている医者が「難易度が高い」と感じる患者のAさんだ。中学生の娘と二人暮らしをしている父で末期の大腸がんと闘病中。病院では治療が追い付かなくなり、緩和ケアに移行した。 患者宅まで向かう道中25分、パソコンを開き、これまでの往診データを何度も確認する。「難易度が高い」理由が大きく2つあるという。 「ご本人も長くないことは認識されていると思う。でもやっぱり『まだ頑張りたい』という気持ちはあるんです。生に対する執着みたいなものが。そのため、24時間高カロリー輸液の点滴につながっている状態です。『まだ先のことは考えたくない』。ご自身で死を受け入れ切れていない部分がこれまでの診察でありました。主治医としては、ある程度期間(余命)は見えるし、それを伝えた上で残りの時間をどう過ごすか、人生の締めくくりをどうするか建設的な話し合いをしたいんです。でも『具体的な期間を聞きたくない』と」 もう一つは家族の問題だ。「お父さん(患者)が亡くなった後の娘さんの身の振り方がまだ決まっていないこと、娘は父の病状の説明は受けているがなんとなくひょうひょうと過ごしており現実をそしゃくしきれていないんです。亡くなった後に娘さんに対してどう接するべきか医療チームも悩んでいます」。 車内でパソコンを打ちながら忙しく話しているうちに、患者宅へ到着した。見た目は一般的な一軒家。末期がん患者と対面する緊張からなのか、ドアを開けた瞬間に張り詰めた空気を感じた。 病気になる前は2人で団らんしていたであろう物があふれたリビングにベッドが置かれている。Aさんは点滴につながれ、そこで寝ていた。顔色は悪くはなさそうだが、足はほとんど骨と皮だけの状態だ。会話はゆっくりだができるが一文節話すのにも苦しそうだった。 鬼澤氏はAさんが現状何を求めているのか、丁寧に質問していく。Aさんは考えながら答えるため、質問が終わると部屋は40秒間ほど沈黙していた。病院から自宅に帰ってきて落ち着きはあるが、ナースコールはないため不安があるという。鬼澤氏は、その不安が分かるとしたうえで在宅医療でも呼べばすぐに人が駆けつけてくることを伝えていた。 医師に対して壁を作っているのかのように思えたが、時間がたつにつれ、“沈黙”の時間が短くなりAさんは自ら話出すようになった。中学生の娘の話になると表情が緩む。娘は普段と変わらず接してくれるようで「数学と英語の宿題の分からないところを聞いてくるんです」と笑っていた。その後、次回の往診までに必要な薬など事務的な確認をしてAさんの往診は終わった。