「9時に銀座だからストライク放れ」豊田泰光氏が石を投げてきた!“ヤクルトの大エース”松岡弘氏が語る個性派チームメイトとライバルバッターたち
昭和後期のプロ野球に偉大な足跡を残した偉大な選手たちの功績、伝説をアナウンサー界のレジェンド・德光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や“知られざる裏話”、ライバル関係とON(王氏・長嶋氏)との関係など、昭和時代に「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”を、令和の今だからこそレジェンドたちに迫る! 【画像】通算191勝の松岡氏が最も印象に残っているバッターとは ヤクルトのエースとして活躍した松岡弘氏。昭和53年には大車輪の活躍でヤクルトの初優勝&日本一に貢献して沢村賞を受賞、昭和48年には自己最多の21勝を挙げるなど、速球を武器に通算191の勝ち星を積み上げた。ヤクルト史上最高の右腕に德光和夫が切り込んだ。 【中編からの続き】
快速球のポイントは「親指」
徳光: ストレートのボールの握りを見せていただきたいと思うんですが。 松岡: 中指、人差し指、親指の3本で握るんですけど、僕の場合は親指が独特。親指を伸ばして握らない。親指を曲げて握ってる。 そうすると、中指、人差し指の指先に力が入る。親指を伸ばすと力が入んないんですよね。 徳光: その曲がっている親指があの快速球を生んだのか。 松岡: 今でいう回転が良かったのかなと思う。きれいにフォーシームで投げてたんじゃないかな。僕らのときはフォーシームって言いませんでしたからね。僕の場合はストレート一本です。ボールを離すとき、バチッと音がしましたんでね。 徳光: とにかくもう、ほれぼれするような快速球でしたよね。 松岡: 今の野球のニュースとか中継とかを見てて思うんだけど、僕の真っすぐは155~160km/hぐらいだね。計ってもらってはないですけど160弱は出てたと思う。 徳光: 出てましたよね。
個性派揃いのチームメイト
徳光: 当時のヤクルトはチームの雰囲気はどうだったんですか? 松岡: 悪くはないですね。 徳光: 安田(猛)さんとは対照的なピッチャーじゃないですか。 松岡: だから、僕は安田とは戦わない。安田も俺とは戦わない。 「俺は俺のピッチングをする。お前は、お前のピッチングでいいんだ。俺とお前は全く違うわけだから。お前も頑張れ、俺も頑張る」。2人のそういう切磋琢磨があったんじゃないかな。 徳光: 打者の皆さんはいかがでしたか。 松岡: 僕はもう大杉さんでしたね。大杉さんのチーム思い、選手思い…。 徳光: 乱闘になると、ほかの選手を守ってくれたみたいですね。 松岡: 「どけ、松岡」って言いますからね。大杉さんが目の前に来て、「どけ、逃げろ」って言って絶対に参加させてもらえなかった。 徳光: バッターが来ると…。 松岡: 大杉さんが目の前に来て立ちはだかったら、それはちょっとたまんないですよね(笑)。 徳光: 体が大きいですからね(笑)。 松岡: 大きくてごっついし、力も強いからね。でも、ほんと気の優しい人なんだよね。 徳光: 優しい人でしたね。
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