「王室が故意に事故を引き起こした」? ダイアナ元妃の死の再捜査「パジェット作戦」
今でも多くの人々を魅了する永遠のプリンセス、故ダイアナ妃。そんな彼女が死に至った、1997年8月31日のパリでの交通事故は世界中の人々に悲しみをもたらしました。しかし、この事故が本当に事故だったのかという疑問は当時から多くの人が抱いていました。 【写真】亡きダイアナ元妃の人生を63枚のレア写真で振り返る
ロンドン警視庁が“ダイアナ元妃の死”を再捜査するまで
1997年8月31日、フランス・パリにあるアルマ橋の下を通るトンネルで起こった車の衝突事故。これにより、ダイアナ元妃と恋人ドディ・アルファイド、ドライバーのアンリ・ポールが亡くなりました。(ボディガードのトレヴァー・リース・ジョーンズは重傷) 事故後すぐにフランス当局は調査を開始。元々の調査では、ポールが摂取したアルコールと薬が事故の原因とされていました。これはポールの血中アルコール度数がフランスの合法値を上回っていたこと、処方薬を服用していたため酩酊状態を悪化させていた可能性があることから。さらにその結果、アルマ橋のトンネルを運転していた際のスピード違反も事故につながったとされていました。 しかし、ドディの父で大富豪のモハメド・アルファイドはこれを告訴。ダイアナ元妃とドディの車を追っていたパパラッチが衝突事故の直接的な原因と主張したのです。しかし、最高裁判所は1999年にこれを棄却、さらに2002年にも棄却しました。さらにモハメドは、調査に不備があったと約14万1,000ドル(約2,240万円)を2人の捜査判事に賠償請求。しかし、2001年にこれも退けられました。 捜査結果が出ているにも関わらず、モハメドは数々の反論を続け、「ダイアナ元妃と息子は王室によって故意に殺害された」とも主張。その結果、2004年1月にロンドン警視庁が独自の再捜査プロジェクト「パジェット作戦」を開始しました。
「パジェット作戦」の捜査内容
ロンドン警視庁長官のジョン・スティーブンスは2022年、「陰謀説や殺害説を唱える104件の申し立てを捜査しました。全てにおいて、交互尋問をしました」と当時について話しました。 最も憶測されていたのは、「王室が故意に事故を引き起こした」というもの。「ダイアナ元妃は英国情報局秘密情報部(MI6)監視下にあった」「米国シークレットサービスがダイアナ元妃の電話を盗み聞きし、ドディの子を妊娠中だった」などと噂されていました。 当時の『NYタイムズ』のレポートによると、捜査はおよそ7,000万ドル(約111億円)かけて、3年近く行われました。14人の捜査官が、ウィリアム皇太子やチャールズ国王を含む、300人を対象に聞き取り調査。600件以上の証拠を集め、フランスの捜査で見つかったものも徹底的に再検証し、捜査官はMI6のファイルやアメリカ国家安全保障局の情報にもアクセスしたそう。
From TOWN&COUNTRY Translation: Haruka Thiel