永遠のケービン⑤ 那覇駅同時発車のナゾ 帰ってきた令和阿房列車で行こう 第二列車
総延長約50キロの沖縄県営鉄道は、那覇駅を起点に北は嘉手納、東は与那原(よなばる)、南は糸満に延びていた。特に与那原駅は、昭和天皇が皇太子時代の大正10年、欧州歴訪の途上で沖縄に立ち寄られた際、同駅から「お召し列車」が那覇まで運行された由緒ある歴史を持つ。 【写真】サンケイ1号君がナゾを発見した時刻表 サンケイ1号君が、時刻表を見て素っ頓狂な声を上げたのは、与那原行きと糸満行きの列車のうち、10時27分と18時38分の2本が、同時に那覇駅を出発していたからだ。 「そりゃ途中の国場駅まで客車を併結していたからじゃないの」 と、適当に答えると、1号君がさらに攻撃を加えてきた。 「でも国場駅では、糸満行きが発車した後、1分後に与那原行きが発車してますよね」 確かに両列車ともガソリンカーの表記はなく、蒸気機関車が客車を引っ張るタイプだ。糸満行きの客車を切り離して先行させた後、新たに機関車をつけて与那原行きが発車するまでわずか1分とは神業に近い。 いや、もともと機関車は那覇駅から前後に2台連結され、与那原行きは後ろから押して動かしたのではないか? 妄想は膨らみ、このままでは、夜も眠れなくなる。 こういうときは、専門家に尋ねるに限る。幸い、資料館(正式名称・与那原町立軽便与那原駅舎)には学芸員さんがいたので、さっそく聞いてみた。 「いやぁ、気が付きませんでした。今度、調べてみます」 1号君恐るべし。謎の解明は、学芸員さんの手に委ねることとしよう。 実は、島人(しまんちゅ)からケービンと呼ばれた沖縄県営鉄道は、戦災で駅舎や車両ばかりか資料の多くも散逸しており、謎が多いのである。 しかも同鉄道は、いまだ「廃止」されていないのである。つまり、法的には「生きて」いるのだ。 だから資料館も「与那原駅舎」であって、「旧」がついていない。沖縄戦当時、県知事が戦死するなど、終戦を待たずして県の機能はマヒ状態となった。戦後は米軍に占領されたため、廃止届を出すことすらできなかったからではあるが。 館内には、軽便鉄道をバックに満面の笑みを浮かべる女学生の集合写真も展示されていた。彼女たちのうち何人が、沖縄戦を生き抜けただろうか。