迫りくる死の影...「陰部露出」で昭和を彩った伝説のストリッパー・一条さゆりが”生活保護受給者”へ転落するまで
1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか。 【漫画】床上手な江戸・吉原の遊女たち…精力増強のために食べていた「意外なモノ」 「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。 『踊る菩薩』連載第120回 『「エアコンすらも買えない」...「際どすぎる踊り」で一世を風靡した伝説のストリッパー・一条さゆりの「転落人生」』より続く
「山田」という名のファン
堺市の集団食中毒取材で忙しく、しばらく一条を訪ねられなかった。稲垣の事務所を通して、取材のアポイントメントをとって解放会館を訪ねた。 ゆっくりと階段を上がっていると、彼女が大きなゴミ袋を持って下りてきた。 「これちょっと焼いてもらうから、先に上がっておいて」 部屋に鍵はかかっていなかった。5分ほどなかで待つと、一条が上がってきて腰をおろす。「あ、缶コーヒーがないわ」と言って立ち上がろうとしたので、私はそれを制し、自動販売機で買ってきたお茶を2本、かばんから取り出し、1つを彼女の前に置いた。 彼女はそれを手にして、「冷えてるね」と言った。元気そうだった。 「このあいだファンが訪ねてきてくれたんよ。3年間探したって」 九州出身の「山田」と名乗る男性で、年齢は一条とほぼ同じだという。銭湯を出たところでこんなふうに声を掛けられた。
「さゆりちゃん、ずいぶん探したよ」
「すみません、ちょっと尋ねますけど、この辺に昔ストリップやっていた子で、一条さゆりって聞いたことないですか」 「ストリップのさゆりやったらあたしやけど」 「あんた、さゆりちゃんか。やけどしたって聞いたけど」 「うん、大阪でやけどしたさゆりはあたしだけや」 「あんただけか。どっかでお茶漬けでも食べよか」 2人でジャンジャン横丁まで歩き、午後4時から8時ごろまで、スズメを食べながら飲んだ。「山田」は大阪で板前修業をしているという。ビールを飲みながら「山田」は何度も、「さゆりちゃん、ずいぶん探したよ」と言ったらしい。
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