創刊40周年特別企画 FRIDAYが撮った!報じた!ニッポンの40年「時代を写した衝撃ショット」
FRIDAY誕生
FRIDAYが創刊されたのは’84年。バブル景気の足音が近づくなか、今では考えられないような消費文化が渦巻いていた。景気と同じく報道も活況を呈しており、そんな世相を受けての誕生だった。 【FRIDAY創刊40周年】時代を映した「衝撃ショット」で振り返る…!(写真8枚) 黎明期に起きた象徴的な出来事といえば、日航機墜落事故であろう。’85年8月12日、群馬県御巣鷹山にジャンボ機が墜落した。現場に急行した記者は、その惨状に思わず目を覆(おお)った。剥(む)き出しになった山肌に、何人もの遺体が乱雑に散らばっていたのだ。なかには墜落で発生した火災で真っ黒に炭化してしまったものや、頭蓋骨が損傷している遺体もあった。お盆休みの行楽からの帰路だったのか、ディズニーランドのぬいぐるみや水着なども散乱していた。 辺り一面に死臭が漂う地獄絵図のなか、樹海に一つの希望の声がこだました。 「生存者がいるぞ―!!」 FRIDAYはヘリコプターによる緊迫の救助活動をカメラに収めている。最終的に4人を救出した一方、乗員乗客520名が死亡。日本の航空史上最悪の事故となった。 それ以降もFRIDAYは、生と死が交錯する大災害や凶悪事件を最前線で追い続けてきた。’95年の阪神・淡路大震災と’11年の東日本大震災の際は被災地の現状を生々しく伝えている。また芸能界の光と闇にも迫り続けた。’00年4月には木村拓哉(51・当時27)と工藤静香(54・当時30)の種子島旅行をスクープ。一方で’19年には吉本興業の闇営業の実態に切り込んだ。 秘蔵写真とともに、その軌跡を辿(たど)る。 ◆’80年代バブル景気真っ只中!衝撃現場に立ち会った黎明期 日本中がバブル景気に沸く直前に創刊した『FRIDAY』。 この時期はリクルート事件や連続幼女殺害事件を始めとする歴史的事件が多発した。とくに、豊田商事会長の刺殺事件はテレビの生中継が行われているなか、犯人が突如現れて会長を銃剣で刺殺。類を見ない衝撃的な映像がお茶の間に流され、FRIDAYカメラマンもその一部始終を目の当たりにすることとなった。さらにスポーツ界では今や球界レジェンドとなった清原和博(57・当時18)と桑田真澄(56・当時17)の″K・Kコンビ″が甲子園を沸かせた。また、阪神タイガース、初めての日本一に虎ファンたちが道頓堀川に次々と飛び込むなど、激しい時代のうねりが感じられる。 ◆豊田商事永野会長刺殺事件 ’85年7月5日号 ’85年6月18日、豊田商事の会長であった永野一男氏(享年32)が自宅マンションで刺殺された。写真は殺害直後に犯人らが凶器を持って出てくる場面である。豊田商事は主にひとり世帯の高齢者に地金を購入させ、カネの代わりに証券を渡すという詐欺商法を展開。約2000億円もの被害を出した。事件当日は、「永野会長が今日逮捕」との情報を聞きつけたマスコミ約30人が集まっていたが、そこに「被害者から頼まれた」という男二人が現れ、窓から侵入。永野氏を殺害した。事件から39年の月日が経過したが、高齢者から金銭を奪う犯罪はなくなるどころか、オレオレ詐欺、ピンポイント強盗と進化している。永野氏刺殺の教訓は活かされていない。 ◆″K・Kコンビ″旋風 ’85年9月6日号 ’80年代の″甲子園の申し子″といえば、清原(左)と桑田の″K・Kコンビ″だ。この年のPL学園は甲子園最多本塁打8本(当時)を記録したスラッガー清原を4番、球速145㎞/hをマークした桑田をエースにすえていた。二人は春・夏合わせて5回出場。うち優勝2回と準優勝2回を果たしている。練習日には彼らを一目見ようと、約50人のファンがグラウンドに詰めかけ、金網越しに歓声を送っていた。だが、桑田は「最初は騒がれるのが嫌でしたが、もう慣れた」、清原も「最後の年だし悔いのないようにやるだけ」と淡々とした様子。その後、地元大阪を離れて桑田は読売巨人軍、清原は西武ライオンズへ入団。プロ野球でも一時代を築いていった。 ◆阪神タイガース″日本一″ ’85年11月22日号 特大の樽酒をぶちまけ、ビールに酔いしれる阪神タイガースの選手たち――。’85年11月2日、阪神タイガースは球団創立50年目にして初の日本一を達成。ランディ・バース(70・当時31)は打率.350、54本塁打、134打点で三冠王を獲得。掛布雅之(69・当時30)は打率.300、40本塁打、岡田彰布(66・当時27)は打率.342、35本塁打と、3人で合計129本塁打を放った。優勝祝賀会では樽酒と2000本のビールが会場に振り撒かれ、床は池と化した。一方、大阪・戎(えびす)橋では、冷たい初秋の道頓堀川に61人ものファンが飛び込み、興奮したファンが通りすがりのタクシー2台をひっくり返し、機動隊300人が出動。この大狂宴は今もファンの心に深く刻まれている。 ◆礼宮さまが〈FRIDAY〉Tシャツ着用 ’86年9月5日号 テニスコートへ向かう、若かりし日の天皇陛下(64・当時は浩宮さま・26)と秋篠宮さま(58・当時は礼宮さま・20)。ブランド物のテニスウエアを着ていても良さそうだが、二人ともTシャツ姿である。そしてよく見ると秋篠宮さまのTシャツの左胸には〈FRIDAY〉のロゴがあるではないか。 「この前年、『FRIDAY』で『屋台巡りして礼宮さま″学習院プロレス″応援』という記事を掲載したんです。学習院大学の学園祭での秋篠宮さまの気さくな様子を報じた記事です。後日、記事の写真をパネルにしたものと、編集部オリジナルのTシャツを秋篠宮さま宛てに学習院大の生協に預けたのですが、まさか本当に着てもらえるとは……」(当時の担当編集者) この写真が撮影されたのは’86年8月7日。上皇陛下(当時は皇太子)と美智子さまと一緒にご静養のため軽井沢を訪れていたときのワンシーンである。写真から38年が経過したが、今後も皇室の益々のご発展を祈念するばかりだ。 ◆″ハマコー″辞任発表 ’88年3月4日号 強引な議事進行と失言により浜田幸一(享年84・当時59)が衆院予算委員長を辞任。「なんだコノヤロー!」と記者に食ってかかるのがお約束だが、この時ばかりは「やめてくれ!」とジョギングの勢いそのままに逃亡した ◆連続幼女殺害事件 ’89年9月8日号 ’88年から’89年にかけ、埼玉県と東京都で4人の幼女が誘拐、殺害され、犯人は遺骨や犯行声明を遺族や新聞社に送りつけ、世間を震撼させた。そして、’89年7月23日に逮捕されたのが写真の宮﨑勤(享年45・当時26)だ。彼は公判で、「ネズミ人間が現れて何がなんだかわからなくなり、気がついたらマネキンのようなものが落ちていた」などの発言を繰り返したため、精神鑑定が行われたが、’06年2月に死刑が確定、’08年6月に刑が執行された。宮﨑の父親は5年かけて遺族への慰謝料支払いの目処を立てると、多摩川に架かる地上32mの橋から投身自殺。凶悪事件において、被害者は言うまでもなく、加害者家族も悲惨な状況に陥ることが証明された事件でもあった。 『FRIDAY』2024年11月22・29日合併号より
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