100年前より安全になったとは言えない--首都圏に潜む、地震火災リスクを考える #災害に備える
糸魚川の大規模火災で明らかになった延焼の教訓
――次は「延焼」について。都市が燃えやすければ燃えやすいほど被害は大きくなる。江戸時代から火災が多かったのは、木造住宅が密集している都市だったからだと思われるが、現代の都市はどうか。 「日本は都市を燃えにくくすることはできましたが、面的に不燃化を徹底することはできませんでした。お金の問題も大きいでしょう。不燃化には少なくない資金が必要となりますから。一方、都心中心部など、再開発によって木造住宅を壊して高層化して不燃化することができた地域もあります。また、路線防火といって、避難路となる幹線道路や広域避難場所につながる道路沿いに不燃建物を誘導し延焼を防ぐといった取り組みは1950年代ぐらいからあります」 ――延焼防止策も進んでいる。 「とはいえ、不燃化が徹底されたわけではないので、延焼のスピードは遅くなるかもしれませんが、燃えるのは燃えます。それを思い知らされたのが今から7年前の2016年12月末に発生した糸魚川市の大規模火災です。糸魚川駅の北側の中華料理屋から出火して、非常に強い南風に乗って海側に燃え広がった火災です。私はこの火災についていろいろな調査をしていますが、現代都市の火災リスクはまだ残っているなと改めて感じました」 「この時、風は南から北に向かって吹いていましたので、海側で焼け止まることによって、延焼が終わりました。しかし、もしこの時に西風や東風に風向きが変わったらどうだったか。もしかしたら、燃えずに済んだ隣の市街地に延焼が広がっていたかもしれません。糸魚川市大規模火災が我々に突きつけたのは、『まだまだ我が国の市街地は燃える』ということなんです。しかも、燃えた市街地は木造密集市街地と言われましたが、地震時に著しく危険な密集市街地といわれるような極めて高密な市街地というわけではなかった。糸魚川よりも深刻な密集市街地は、まだまだ全国にたくさんあります」
――東京や大阪といった大都市の木造密集市街地は、もっと密集している。 「そうなんです。そして、もう一つ言えることがあります。糸魚川の火災の出火件数は1件。しかも、地震火災ではないので、燃える前の段階で他の家は壊れていない。一方、地震火災の場合は同時多発出火となる。また、大きな揺れにさらされた家は、瓦がずれたり、窓ガラスが壊れたりしているので、より市街地が燃えやすくなっています。強風下ではありましたが、地震火災ではない、平常時の1件の火災なのにこれだけ燃えたというのが糸魚川市の大規模火災が私たちに与えた教訓です」 ――燃える速度は昔よりも遅いかもしれないけれども、延焼のリスクがなくなったわけではないと。 「はい。それからもう一つ、関東大震災の時には明らかになっていなかった地震火災の新しい延焼リスクが、近年の火災から見えてきました。それは空中で起きる火災です」 「東日本大震災の時、実は中高層建物の中で地震火災が結構起きているんですね。少なくとも、揺れに起因して発生する火災のうちの4割ぐらいが4階以上の建物で発生している。つまり、中高層建物の例えば低層階などで火災が発生して多くの人が逃げられなくなる。私はこれを『震災時ビル火災』と呼んでいますが、そういう新しい延焼が起きるかもしれないのです」 「東日本大震災時に仙台市で調査した結果、中高層建物の火災安全性能を担保してくれるはずの防火扉やスプリンクラーは大きな地震が起こった時には機能しないこともあることがわかりました。多くの人が中にいる状態で震災時ビル火災が発生し、これら防火設備や消火設備が機能障害を起こし、大勢の人が犠牲になるというシナリオもあるという前提で、今後は対策を考えていかなければならない」 ――ちょっと考えたくないようなおそろしいケースも、想定しておく必要がある。 「延焼という観点でまとめると、関東大震災の時に比べると不燃化率はそれなりに高まり、火災が起きにくくなったかのように思われるが、まだまだ非常に多くの木造密集市街地が残されていて、さらに震災時ビル火災のような新しい延焼リスクも顕在化しつつある。まだまだ油断は禁物という評価になると思います」